けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 高木彬光「刺青殺人事件(新装版)」(光文社文庫)

刺青殺人事件 新装版 (光文社文庫)

刺青殺人事件 新装版 (光文社文庫)

高木彬光のデビュー作。そして、本作を書店棚で見かけた人の中には、ネット世界が、ホームページが主体であった平和な頃の思い出がよみがえるかもしれない。

かの名作「刺青殺人事件」の復刊を望む人は名乗りをあげよ!!

私の不確かな記憶を、更に要約すると、上記のような熱い雄叫びがPCのディスプレに輝いていた。そして、私は当然のように名乗りをあげた・・・わけではない。

私の高木彬光体験は、

わが一高時代の犯罪 (ハルキ文庫)

わが一高時代の犯罪 (ハルキ文庫)

に始まり、その感想はというと「なんじゃこりゃ!」的な酷いものであった。したがって、「かの名作(略)名乗りをあげよ!」という熱い呼びかけにも、恬淡としていた。あ、正直に述べると、「わが一高時代の犯罪」を読み返したい、と今は切実に思っている。

さて、本書の奥付を見ると「2005年10月20日 初版1刷発行」とあり、かの雄叫びが実を結んだのかもしれない*1。しかし、先週だから、2008年3月に購入した書が、「初版1刷」というのは、うーむ。

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というように、本作品の復刊に至るまで、色々あったようですが、そもそも本作品が活字になって世に出るには、更なる苦難があったようです。本書収録の「カッパ・ノベルズ版あとがき」(高木執筆)を引用してみましょう。

もちろん、乱歩先生の絶大なご助力、ご支援があったとしても、この作品が世に出るまでには、まだいろいろの困難があった。雑誌「宝石」の別冊のような型式で、106ページの本として出版されたのも、万一損害が出たならそれは半分、自分が負担するから・・・とまで乱歩先生がいいきってくださらなかったら、あるいは不可能だったかもしれない。

現代ならば、安っぽいウェブモノ新書とかが、簡単に世に出ていますが、時代は1948年(昭和23年)。焦土と化した日本です。本より芋。現実は小説より奇なりで、事件はミステリ小説で起こっているのではなく日常生活で発生していた厳しい時代です。

と、前置きが長くなりましたが、「刺青殺人事件」についてです。以下、ネタバレに通じることがあるかもしれませんので、吟味の上"続きを読む"をクリックしてください。別にブラクラではないです・・・。

まず、文字通り「刺青」がケレンとっているだけではなく、トリックと絶妙に融合している。ケレンとしての刺青。江戸時代に、刺青禁止の法度が出されたが、明治期にその芸術性を西洋の人々が「発見」する。このあたりは、浮世絵の「発見」と同様の歴史的洗礼を受ける。思えば、刺青と浮世絵というのは、浮世絵の絵柄が刺青になることからも親和性が高い。

入れ墨(wikipedia)

このあたりの刺青談義は興味深かったが、もう少し掘り下げて欲しかった。例えば、京極夏彦の「レンガ本」で扱われるとしたら、本書の半分程度の分量は談義に費やされるかな、とか思う。

さて、本書のミステリとしての指向性は二点あると思う。まず第一点は密室物であること。それが、ただの密室ではなく、密室が解明された後に発生する「心理の密室」。「心理の密室」とは、本作品内の言葉であり、またその要点について詳述されており、著者としては自信があったものと思われる。

そして、その自信に違わず効果的ではあるのだが、現代の「ミステリずれ」した読者としては、もう少し「心理の密室」という魅力的なネタを膨らます、というか精緻化して欲しかったな、と思う。現役のミステリ作家には、「心理の密室」という良材で、魅力的な作品を生み出すことを期待している。エラソウだけど。

次に、指向性の第二点目。本作品は、密室物だけではなく、ミステリの分類で言うところの「顔の無い死体」物でもある。しかし、顔はありながら、体が無いという新奇性。同様の趣向を取った作品もあるが、本作では刺青を絡めたところがミソ。

先に述べたように、刺青は浮世絵に通じるものがあり、その特質を生かしきっている。このような絡めの発想は、日本ミステリならではのもの、と寡聞な私は個人的に感じた。

そんなわけで、「かの名作(略)名乗りをあげよ!」と熱く呼びかける人の気持ちに嘘はないな!と思う傑作です。

*1:「かも」なのは、これ以前に復刊されていたかも、ということを考慮して。