きのう布団を持っていない知り合い*1と会う予定だった。ところが、時間を過ぎても一向に現れずお流れに。あとで聴いたところによると寝過ごしたとのこと。まあ、布団がなくてもぐうぐうと眠れる季節になったということだろう*2。
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読んだ。題して「イラン攻撃は、20年にわたる米国の国家事業だった」。
20年前というと、ちょうど私がfinalvent氏(上記ブログの著者)に難癖をつけて絡んでいた頃のことではないか!私が30歳頃のことだ。
さておき。今回のイラン攻撃が、トランプの気まぐれなどではなく、政権に関係なく20年間にわたり温められてきた国家事業だったとのこと。その根底には、もちろん大きな懸案があった。核開発だ。
この切り口でイラン問題を説明している論調というのは見たことがない。すなわちトンデモ論か?というと、私はそうは思わない。私の敬愛する故船戸与一氏も、その国際冒険小説で同様の切り口を語ってもいるからだ。
簡単に紹介しておく。米国の大統領は民主共和いずれの党から選出されても構わない。大学も関係ない。問題になるのは、いずれの地の出身(すなわち出自)であるかだけだ。誰が問題にするのか。石油メジャー及び金融コングロマリットの長たちである。
ここにfinalvent氏の論拠と重なる部分がある。すなわち、大統領が変われども「国家事業」は変わらないと。ただし、船戸氏が民間産業界にその素地を置くのに対して、finalvent氏はそれを政界に置いているように読める。この違いは別の話であろう。
結論。今回のイラン攻撃はトランプの気まぐれと考えるべきではないということ。ただし、私の中では若干異なる部分もある。書いた。
土を耕し、丁寧に臨んだこと。 - けろやん。メモ
そして、今回のアメリカ、イスラエルによるイラン攻撃。わずかな期間をおいての攻撃であるが、両者間の動機の連続性は強く感じられない。個人的には。
私は、上記のように攻撃の非連続性を感じた。すなわち、2025年6月の米軍爆撃機によるイラン核施設への攻撃と、今回2026年2月のイラン中心部への「斬首」攻撃の間に横たわる溝、あるいは空白。
前者の攻撃で米国の懸案であったイランの核施設は破壊された。破壊されずとも大きな打撃を受けたと考えられる。その上での今回の攻撃は、イランの体制転換を目的としているとも言われているが、このような攻撃は、米国の歴代政権が計画していたものだろうか。
私が違和感を抱くのはその点だ。ここにトランプの気まぐれという悪夢が入り込んでいるのではないか。
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柄にもないことを書いたので、布団の中でぐうぐう眠りたい。
二十日大根日記。8日目。ほんの少しだけ芽が顔を出した。

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