示唆に富むエントリ。かつて、アルファブロガー最後の良心とも称されるid:finalvent氏が、黒崎氏を以下のように評していたことを思い出す。
黒崎さんはいわゆるジャーナリストだろう。つまり、これがプロの水準。(略)私はこの問題は傍観者だったった*1。単純に言えば、私も黒崎さんくらい黒い年寄りであるし。
finalvent氏は、現在、黒崎氏とは距離を置いているようではあるが、先頭に掲げたエントリを読むと、「うーむ、さすがだな!」と思われるであろうか。
さて、気になる一文。
問題-騒動-迷走などという呼び方や区分は、ほとんど意味を持っていないのではなかろうか。線は一本である。通低しているものも、ほぼ同じ匂いを放っている。
「問題-騒動-迷走」という呼び方・区分を提示した私としては、カチンと来るのだが*2、「線が一本」というところに同意。というか、同意する部分もある。
私は、同一線上ではありながら、それぞれの期において、adagioあり、allegroあり、appassionatoなる曲奏が表出されていた(る)ことに関心を持っていた(る)。そして、ブロガー、あるいはジャーナリストが登場し、掲示板で議論の集散がある、一連の「ことのは」の流れに興味を抱いているのである。
ネット世界の片隅の話であるが、同一線上という連なりで、それぞれの位相を考察してみると面白いかもしれない。切り口は、星の数ほどある。例を挙げるならば、参加型ジャーナリズムの構造、DJ研究会の誕生・現状、掲示板での同一ID者の意図、掲示板の昼夜別の人口趨勢等。
web2.0。私は、所詮、情報の取捨選択のツールの総称だと考えており、そういう意味で、情報の流動性、流布経路の研究(というと大袈裟だけど)、あるいはケース・スタディとして格好の材料だと思う。