松永氏の自伝にはがっかりしている。
痛みを綴るブロガーたちへ
ttp://icanthelphatingsex.g.hatena.ne.jp/noon75/20060918/p3ある種の傷みを抱えた人々にとって、書くことはそれを思い出すことだが、またそれによって同時に、その痛みを忘れることが容易になる、という側面があると思う。
ここには、同意する。書くという行為は、頭で考えるよりも能動的で、良い意味で平面世界に思いを封じ込めるということで、痛みを忘れることが容易になると思う。
ただし、上記エントリの後段部分には、同意できない。
それは大事に心の中にしまっておいてほしい。
限りなく本当のことを書きながら、嘘をつく。本当にあったことは言わない。
脚色して書く。フィクションを書く。それは不誠実さではなく、暴力的な世界に食い物にされないための当然の自衛である。
救済への道があるならば、それは真実を公にすることにあると私は考える。ただし、私自身は「友愛」で迎える自信、覚悟はないので、私が口を挟んでよいとは思わない。私が、言いたいことは、自らの自らに対する救済についての私論に過ぎないが、この問題の救済は、フィクションにはないと思う。
しかし、「友愛」を唱える人々は、彼らと同じ屋根(比喩ではない)で暮らせる覚悟が出来ているのだろうか?私は、そこに懐疑的な胡散臭さを感じてしまう。言うは易し、行なうは難し。というか、語りの場は、ブログというメタ世界なわけだから、行うことは、もともと必要ないのだろう。ブログの安易な言説。