黒崎夜話:わたしを受け入れて
ttp://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/23983777.html当時の自称進歩的知識人は、そこから自らの望む方向に話を持っていった。
いわゆるありがちな階級論、差別・被差別のお話である。
疎外論とかね。
これが、私の考える「一般化」の恐怖。個人の問題を社会全体の問題に昇華させてしまうこと。それに対して、反論するのは困難である。責めるより、許す方が美しく感じられるから。ドブネズミの美しさは、その対極。この部分は、こじつけか。
もっと分かりやすく言えば、新自由主義というのは個人の可能性ではなく、今使えるパーツを捜しているのだった。
この内容には、「ああ、そうだったな!」と同意したと同時に、上手く言葉にするものだ、と感心した。「坊ちゃん」のラストってどんなんだったっけ?