けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 佐村河内守:幽冥界の物語


上手く書けないんだけど、一回書いてバックアップし損ねてクラッシュしたんだけど、メモとして書いておこう。
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これ問題提起がなされている向きがあるけれども、私自身は大きな問題がない騒動、というか物語だと思う。あるいは複層構造を内包する炎上劇。
問題は一点だけ。河内守および周囲の人間たちが、東日本大震災を物語の出汁にしたこと。これについては、マス「ゴ」ミが騒動勃発初期段階で意図的に隠蔽した。これはマス「コ」ミのやさしさ。このロジックはみんなが考えてみてね。
さて物語は、京極夏彦顔負けのキャラクター小説をバックボーンにしている。まず唐突に「ゴースト新垣」が舞台に闖入して物語が幕をあげる。

ちょっとヘンテコな顔というのもあるが、背景がわけわからない。何故なまこ塀なのか?そして経歴。彼は知る人ぞ知る(らしい)音楽家らしいけど、知らない人には何もわからない。
彼の「本物」の音楽が紹介されたことは寡聞にも知らない。まさしくゴースト(幽霊)である。
そして主人公が登場する。

物語の流れとしては妥当な「承」である。なんか左手にバンテージを巻いているのが気になる。ボクサーなのか?それはさておき、この時点における彼は、主人公でありながら肉体を伴っていない。
過去のドキュメンタリーフィルムは流れる。そこでは、奇怪な風貌を持つ佐村河内守というネーミングが丑三つ時に歩き始める。正体不明の怪人。すなわち彼もゴースト(幽霊)なのだ。
そして「偽ベートーベンの妻の母」が唐突に脇から飛び出してくる。

画像を拾えなくて残念。モザイクが強烈に「妻の母」という謎めいたキャラクターにシンクロしている。彼女はキーパーソンと言っても過言ではない。偽ベートーベンの「妻」ではなく「妻の母」である。物語は「転」する。聴衆は物語に引き込まれる。
彼女の存在はなんなのか?モザイクを被ったがゆえの3人目のゴースト(幽霊)と捉えることも妥当であろう。しかし、彼女の存在は極めて具象的である。なぜか?彼女が現実世界における炎上構造の核となっているのだ。
炎上とは何か?単純に考えれば、対立構造に付加価値が投入されることである。1対1では炎上にならない。炎上するためには、1に対する多が必要である。たしかに河内守に対する大衆の声で炎上はすでに成立している。
しかし「妻の母」が登場したことによって、その内部構造に炎が吹き荒れる。御茶の間のテレビの中で内部的に炎上の舞台が成立するのだ。河内守対ゴースト新垣&妻の母という構図である。
繰り返すが「妻の母」の登場によって、御茶の間のテレビに炎が延焼したのだ。すなわち炎上に極めて親和的なネット世界ではなく、現実の御茶の間テレビ世界炎上が発生したのである。そして、蛇足ではあるがテレビ世界においては稀有なる炎上が発生したのだ。
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少し落ち着いて考える。先に問題は一点だけと述べたが、問題らしきものは他にもある。聴覚障害というハンディキャップの偽造。一連の報道では争点として挙げられている。
しかし、登場するキャラクターたちの個性が強すぎて、物語の本筋たるこの争点がかすんでしまってはいないだろうか?しかし誰も「偽造なんてどうでもいいじゃないか!」とは声をあげない。みんな裸になっているから。

RCサクセション「イマジン」
僕らは薄着で笑っちゃう。笑っちゃう。

言い過ぎかもしれない。でも私自身は服を脱ぎ捨てて裸になっている。これについては本エントリの末尾をご覧ください。
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物語のクライマックス。

ありえない「太ったベートーベン」が登場する。ある意味カタストロフといえよう。これまで肉体を持たないまま一人歩きしていた怪人が、その肉体を初めて衆目に姿をさらけ出したのである。
仮面を外して「こんにちは!ブーブー!」な肉体表現。私はパフォーマンスという安易なものであると考えたくない。天然な肉体表現、あるいは憑依。
聴衆はゴースト(幽霊)に安寧していた。しかし彼が持つ肉体表現は暴力的ですらあったのだ。カメラがパンすると大きな顔が画面からはみ出すとは何事であろうか?
そしてクライマックス。声明文を朗々と歌い上げる彼の姿。彼の胸を突くが如くの無数の周音マイクが歌声を拾う。驚天である。普通の人より立派に話しているじゃないか!
そして、彼は「訴えてやる!」という勝負の咆哮をあげる。僕はまだ戦えるんだ。まだまだ戦うんだ。
決め打ちのクライマックスじゃないところに注目。すばらしい結語を持つ物語を作ることは極めて困難だ。必要なのは余韻なのである。勝負の結末は物語に必要がないのだ。もう戦わなくていいんだよ・・・。
ハンディキャップについて。これについては別稿の[感想文]tagsで真面目に書きます。