けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 朝日新聞取材班「ロストジェネレーション―さまよう2000万人」:読んだら負けだと思った。驕り。

図書館で借りて読んだ。途中で読むのをやめた。

ロストジェネレーション―さまよう2000万人

ロストジェネレーション―さまよう2000万人

朝日新聞2007年の年始特集に大幅加筆修正した書籍。年始特集であり、冒険的な連載だったとのこと。
以下、意図的に「ロストジェネレーション」と「ロスジェネ」を区別して書く。
−−−
まず、日本社会で多用されている所謂「ロストジェネレーション」は、この連載が初出らしい。ロストとは「喪われた」と「さまよう」のダブル・ミーニングとのこと。
年表がとても参考になった。ざっくりと引用する。

1972年:浅間(あさま)山荘事件
1979年:ウォークマン発売
1983年:ファミリーコンピュータ発売
1995年:阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件
2001年:米同時多発テロ
2006年:堀江貴文ライブドア社長逮捕

あさま山荘事件。もちろん記憶にはないが、これをもって政治の季節が終わり経済の時代に入ったという認識を持つ。日本列島改造論日中国交正常化
ウォークマン発売。当初、日本のミニマム文化限定の商品だと思われていたが、世界を席巻した。ソニーのあるいは日本のメーカーの金字塔になった。日本の家電メーカーが光り輝いていた時代。ジャパン・アズ・ナンザーワン。
ファミコン発売。これが私たちの年代においての原風景になっていると思う。外で遊ぶ子供たちは減り、ファミコンを子供に与えることで家族が自由になる。という教科書的なことではない。マリオが動くんだ。
そして、1995年。西の大震災と東のテロ。私は学生だったこともあり、事象を把握できなかった。しかし、社会人たちにとっては、大きなショックだったと思う。1995年は「ロストジェネレーション」の第一期生が、企業の新入社員として社会人になった年だ。
地に足をつけた生活が一瞬にして崩れ落ちた大震災。通勤時間帯を襲ったオウムのテロ。繰り返すが通勤時間帯にだ。
その後、テロ集団オウムの構成員の少なからずが高学歴な人間であることが判明していく。私たちの生活、あるいは一所懸命勉強して獲得した学歴って何だろう?
ソニーが輝き、ファミコンに目が輝いていた時代を破壊した震災とテロ。これらがロストジェネレーション世代の分水嶺だったと思う。
2001年。米同時多発テロ。海の向こうの事件であったが、22:00のテレビニュースで、あまりに現実離れしていたがゆえに「滑稽」な映像がリアルタイムで放映された。
世界は、戦争の時代からテロとの戦いという混迷の泥沼に突入した。それは、ベトナムでもない。ましてやキューバ危機でもない。
−−−
私は、ロスジェネレーションの第一期生らしい。しかし、実感は湧かない。次の年代からが、「ロスト」した感覚的だ。
すなわち私が入社した年に大企業が次々と倒産した。ここからが、本格的にロストジェネレーション時代に突入したという印象を強く持つ。ではなぜ、社会経済事象との齟齬がありながらロストジェネレーションを定義したのか?
考えてみた。あさま山荘事件日本列島改造論日中国交正常化の年にに生まれたからか?ちがう。堀江貴文だ。本連載は、彼を持ち出してモニュメントにしたかったのだ。私は読むのをやめたが、少し先に堀江の話が出ていたように思う。
すなわち、堀江からさかのぼってロストジェネレーションを語るという、文字通り本末転倒なる定義付けだ。まあ、こんなことはどうでもいい。
話を戻す。本文から引用。

(ロスジェネの)彼らから徹底的に話を聞いて、一つの世代論として提示したい。そんな思いから、連載の取材が始まりました。担当した記者の多くは彼らと同年代で、自分たちの問題として考え、悩み、時に追体験することで、この世代の本質に迫ろうとしました。
(太字化引用者)

疑問が次々に湧いてくる。
大新聞の記者が、単に同年代というだけでロスジェネの人々を追体験をすることが可能なのだろうか?そもそも同年代イコール同世代なのだろうか?そもそも世代ってなんなのだろうか?
おそらく、視認可能性*1を機会として「同世代」を持ち出すのだろう。
繰り返す。境遇の異なる記者等をインタビューアーに据えることで、なにかが明らかになるのだろうか?さらに根本的な大きな疑問がある。
誰が本書を手に取って読むのだろうか?
私は、途中で投げ捨てたが手に取った。ネットカフェに住むロスジェネたちが読むのだろうか?考えにくい。彼ら彼女らは本書を購入する金銭的な余裕もないだろうし、時間的な読む余裕もないだろう。ましてや、自らの苦しみが写された鏡を見たいと思うだろうか?
団塊の世代の人々が読むかもしれない。「ぼくらは連帯なんだ。キミらは連帯しない。ぼくらは「世代」なんだ。
俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない!
考えた。読者層はロストジェネレーションながら、ロスジェネではない人々だと思う。自らの身の安泰を希求する。ぼくらはロストジェネレーションだけどロスジェネじゃないんだ。本書を手に取った私にも、そんな驕りがあったのかもしれない。いや、正直、驕りがあった。
1965年生まれの朝日新聞キャップが、本書の結語を述べる。

1200万人の不法移民が低所得労働を担う国、アメリカ・ニューヨークにて
「ロストジェネレーション」取材班キャップ 真鍋弘樹

この一言が本書の通低を言い表している。

*1:区分としては極めて使いやすい「何年に生まれた」といった区分。嫌いな言葉だが「同世代」。