けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 誰もがバブルを抱えて生きている。

Chikirinの日記:恵まれた人々、まとわりつく人々
スルスル読めて「おお!そのとーりじゃないか!そんじゃーね!」な人が多いと思うけど、コメント欄もブックマコメントも読めないので、どうなんでしょう?
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ちょっと書いてみる。まず、

“利用価値“のある人

破壊された後にも“利用価値“が存在する人という文脈。破壊されたことがなければ、“利用価値“もクソもない。とりあえず破壊される大きな何かが、過去に存在していなければならない。
それはバブルである。ただし、膨らんだバブルが弾けてしまうことだけがバブルなのではない。膨らんだバブルを抱えたまま飛び続けることもバブルである。まあ、業界の御大みたいな人。
“利用価値“のある人はバブルである。あるいは、過去にバブルで飛んでいたが、破壊された(弾けた)人だ。いずれにせよバブルを体験している。

男性のスポーツ選手で若くして大金を手にした人。(略)「投げる不動産王」

両者ともにバブルだ。
バカでかい契約金をもらって、買いたいものはなんですか?「ベンツに決まってんじゃん!」みたいな「若くして大金」な選手もいる。彼が、どうなってんのか知らない(弾けてんじゃね?)。
「投げる不動産王」は、いまでも空を飛んでいるかもしれない。いや、どうなってんのか知らない(飛んでんじゃね?
とにかく、いずれもバブルを体験した。違いは、弾けたか弾けなかったかだけだ。
繰り返すが、いずれもバブルを体験した。

振り込め詐欺だって、被害に遭っているのは金持ちばかりです。(略)何百万、何千万円もの不急不要のお金をもっている。

これは、認識が甘い。振り込め詐欺の「単価」は、不急不要に比してずっと小さい。小さい単価を吸収(集金)するシステムが存在して、総体としてでかい金額になる。
話がそれるので元に戻す。
「何千万円もの不要不急の金」。これは、まさしくバブルだ。バブルを抱えながら飛んでいたのだ。しかし、振り込め詐欺でバブルは弾けたのだろうか?
「何千万円もの不要不急の金」の持ち主が、高々数百万円の被害に遭ってバブルが弾けるのだろうか?関係ないが被害届は存在するのだろうか?セカンドカーでも買ったのだと考えて明日を生きるのではないだろうか?世間体。
そして、数百万円。騙されるのは200万円くらいだろう。いくらドラ息子が「金をくれくれ!」言ったって500万円レベルはあんまりないだろう。屁理屈になるが、500万円の人はもっと大きなバブルを抱え込んでいるのではないか?
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バブルなんかに縁がない私たちだってバブルに絡まれることもある。
社会がバブルであるとき。株価はウナギ上り、地価の上昇は天井知らず。「カネなんか持ってらんねえ!株だ、土地だ、ゴッホだ!」
ゴッホは別にして、私たちだって株や土地に走るかもしれない。そして、社会のバブルが弾けて私たちは被害に遭うかもしれない。
ん?ただのバブル経済論だと言うなかれ。私たち小さい人々もバブルを抱えているのである。バブルで飛んでいるのである。ここでいうバブルとはなにか?
借金。銀行やらノンバンクやらの「カネ余り」。彼らはバブルに困って、私たちにバブルを投げてくる。担保の何倍もの借金。これはバブルだ。借金でもバブルだ。実体はいらない。
この時点で、私たちはバブルの体験者になるかもしれない。そして、体験者の大部分のバブルは弾けてしまうだろう。しかし、弾けることがバブルなのではない。
バブルで飛び続ける人もいる。土地転がしとかで、本当のバブルを抱えて飛ぶようになった人もいる。
勝ち負けいずれにせよバブルの体験者だ。

実際は「才能に恵まれたからこそ、こんなことになってしまった」のでしょう。

「被害者」になるのに才能はいらない。バブルを抱えているだけで充分。借り物の株価上昇、地価上昇であっても、私たちはバブルを借りてきている。
では私たちは“利用価値“がない人間なのだろうか?いや利用価値の残滓はある。貸しはがしってやつ。金融保証金詐欺みたいなシステム。ちょっと違うか。
似たようなことを1990年代のバブル崩壊社会では、天下の銀行がグループ会社を利用し、そして「活用」して行っていた。ここでバブルが弾けた人たちだけがバブルの体験者ではない。
冒頭の引用エントリは、才能や財産が弾けた(負けた)人のみを問うている。才能や財産は関係ない。
私たちみんながバブルの体験者足りうる資格を持っているのだ。勝ち負けを問わず。
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バブルには勝ち負けが存在しないということ。そしてバブルを体験したことが、悲喜こもごもに繋がるって話。
(付記)
私は借り物がないし借り物ができる予定もないので、文中の「私たち」は私を除く「私たち」。