けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 雑司ヶ谷の赤い残像

池袋は雑司ヶ谷霊園に行ってきた。
夏目漱石の墓に「参拝」に行ったわけではなくて、亡き父の墓参り。墓参りっていっても墓石なんてなく、納骨堂。
納骨堂って格好よい感じだけど、実際はコインロッカーみたいな所に遺骨が放り込まれている。別に墓石なんかどうでもいいって感じ。
父に挨拶しようとしたら、がらがらと声高らかに咆哮しているおばちゃんの集団がいた。これから線香をあげようというときにがらがらしゃべっていたので正直えらくむかついた。
がらがら女たちに「ここはおまえらの行けるような安い居酒屋とか、安っちい詐欺まがいの茶道教室じゃねえんだよ!出て行けや!」って言おうと思ったけど、亡き父の眼前だったし、彼女たちが子供連れだったので自粛。
それでもちらちらと眺めていたら、親分格らしい男が睨みつけてきたので、私は眼を変形させて、ねめまわし返してやった。
私は線香を上げながら、120円の缶コーヒーを捧げて家族皆々の健康と幸せを心底から祈った。自分のことは、自分のことなので祈らなかった。
線香セットを返しにいきながら、がらがらおばさんの子供たちを見たらみんな静かにポータブルゲームに昂じている。親も親なら子供も子供なんだなと思い、そしてなんだか哀れに思った。
私は納骨堂を後にして、梅雨晴れの天国のような世界を歩んだ。眼を閉じると赤い残像がいつまでも続いた。
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さて雑司ヶ谷
家に転がっていたパンフレットが秀逸。現在の地図が右開き、昭和33年の古地図が左開き。「え?学習院ってこんな昔からあるんだ!」って当たり前だろ。驚いたのはサンシャインビルが、巣鴨刑務所(プリズン)の跡地に建設されたんだ!っていうところ。
ほかにも驚く今昔があったのだけれども割愛。ちなみに、RCライブ伝説の久保講堂の跡地には霞ヶ関ビルが建ったんだってさ。最近知った。
サンシャインビル。空気をまったく読めず、私を含めてみんなに嫌われている友人(というか友人ではないかな?)が、証券営業に放り込まれた新入社員のとき、カバン一杯に名刺を積み込んで、最上階から1Fまですべての事務所等に名刺を配ったンだってさ。
正直、私は彼のことを好きじゃないんだけれども、すごい努力をしていたんだなあ、強いんだな、って尊敬している。嫌いだけど。
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父が他界したとき私は16歳だった。父は安い給料で働きながら、これから天下り先を渡り歩いて、人並みの金を儲けるところだった。で、一つ目の天下り先で他界。
その頃、家には恐ろしく金がなかった。私は16歳の身分で20歳と偽り、工事現場に潜り込んだ。バブルのときだったからけっこう稼げたな。
溝の口のKSPビル*1飛島建設が研究施設として着工したバカデカビルだけど、完成してしばらくしてバブルがもろに弾けて、ぼろぼろになった飛島は、約10年後会社更生法でぶっ飛んだ。
当時の私は、20キロぐらいのセメント袋を担いで出来合いのぐらぐらする階段を上り下りした。アスファルトを載せた猫車を押してジーパンにアスファルトが染み付いた。
高校に戻ったら「格好いいジーパンじゃねえかよ!」って言われて、複雑な思いに捕らわれながら、嬉しく思ったな。けっこう楽しい時代だったと思う。
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雑司ヶ谷。前日の雨で新緑の木々が輝いていた。

*1:神奈川サイエンスパークビル。