読了日:2021年5月12日(水)
読書経緯:所蔵
書誌情報:1997年8月20日 発行
<感想>
四半世紀前のパソコン本に、大いなる需要があるかは疑問だが、少なくとも取り出すべきエッセンスがあることは確か。
1997年。パソコン黎明期にアプリケーションソフトを使用して、データベースの構築に臨む筆者。
課題は、溜まりに溜まった京大式カードのパソコンへの格納だ。
・・・と、ここまでは、古い昔話かもしれない(ただしその悪戦苦闘には頭が下がる)。
さて。
PDA端末の使用方法について述べられているのだが、そこにはこれはと思うアイデアが提示されていた。
すなわち、入力端末としてパソコンを利用して、PDAの不自由な入力作業を回避して、そのPDAをコンパクトな出力(閲覧)端末として利用するというもの。
これは、現在においても、パソコンを入力端末にして、スマートフォンで出力(閲覧)する利用法につながらないだろうか?
より具体的に述べるならば、Evernoteアプリを介在して、入力:パソコン、出力:スマホという使い方だ。
四半世紀前の絶版本にも、拾うべきエッセンスはある・・・ということでした。
以下引用。
メモが生きるためには。
p.10 メモは財産である。しかし、この財産は、スムーズな分類とかんたんな検索により価値を決定づけられる。それができなければ、価値は半減するどころかゼロになってしまう。
パソコンの価値とは。
p.58 パソコンの価値は、情報の整理や保守管理するデータベース・システムにこそある、と私は思っている。
パソコンをネットサーフィンにだけ使うのはもったいないですね。