けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 敗者の弁について 

判官びいきの私なので、今さらながら、麻生総理大臣が可哀想になり、また好感を持ち始めています。いや、好感は以前から抱いていたけれども。

さて、衆院選挙の敗北を受けて、敗戦の弁を述べる麻生首相に対して、私と同様の気持ちを抱いた人も多いのではないでしょうか?id:finalvent氏もその一人だよ!と言う声が聞こえてきますが、それは間違い。

彼は選挙前から麻生首相を評価した日記やブログを書いていました。流れにたゆたう私とは違うのです。ただし、以下の言説は少々浮世離れ(失礼)しているのではないのかな?

引用してみましょう。

極東ブログ〜God Bless You, Mr. Aso, or Father in secret

自分を負かした相手の勝利を褒め称える政治家というのは、日本にいただろうかと即座に思った。
(中略)
勝者を称えることで敗者の品位が保たれる。麻生さんは、スポーツマンであったからかもしれないが、それが普通にできる政治家であったのだなと私は感銘を受けた。

たしかにスポーツの世界では勝者を称えるだろ言えばうし、敗者の品位、というかレーゾンデートル、が残滓として保たれるでしょう。しかし、私は思うのです。

あれだけの大敗を喫した状況で、祝福せざるをえないのではないか?あるいは、他に何を語ればよいのか?もちろん敗戦の弁も述べられていた。しかし、それだけでは心の澱をかき消すことができないだろう。

さらには、選挙戦において愚劣極まりないネガティブキャンペーンを展開しての大敗北である。勝者を祝福せざるを得ないと思う。今後の政治を考えて、あるいは一人の人間として。

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ちなみにネガティブキャンペーンは、我らがウェブ2.0(死後)だかなんだか知らないけれども、インターネット上が主役だった。なーにが、「公示後にもネットを解禁させろ!」「ツイッターぐらいかまわないだろ!」だ。寝言は、ツイッターでつぶやいていろ!