けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 ドンコルでシの鋭き響き

忘年会でイッパイイッパイだと知らなくて入った飲み屋。独り、カウンタで焼酎のお湯割りを飲みながら小説を読んでいた。しばらくすると、ドン・コルレオーネの配下のようなおじ(い)さんが近くに坐った。遠くの宴会の賑わう声が響く。

私は、読みかけの小説から目を上げて、「ドンの配下な彼」を窺う。誰かを待っているようだ。小説の「これは、大事なところだぞ!」という箇所に目が行ったところで、ドン配下の連れが現われた。男である。

男は、「今日はゴチソウしますよ」、「十人兄弟と言う話でしたが何歳ぐらい離れていらはるんですか?」と、ドン配下に言う。ドン配下は、「甥っ子の世界だからな、で・・・」と、カネにまつわるドロりとした話を始めた。

後から来た男は、関西弁をあやつり、証券関係か、先物関係の人間らしかった。男はドン配下に損を出させたようだった。私は、とりおきのボトルの最後をお湯割ではなく、ロックで飲み干し、店を出て、近くのスーパーでホタテの刺身を購入した。

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少し古い話ですが、朝日新聞「歌う記者石川啄木朝日新聞社の3年間」(07年12月8日)という記事(というか読物)から。

石川啄木の初任給は月額25円。一夜1円の夜勤料が加わって30円になる約束だった。(略)啄木入社の直前、1908(明治41)年の朝日新聞給料一覧を評に示した。夏目漱石が200円で迎えられた話は有名で「社長より高給」といわれた。

30円と200円。上記記事では、米価の推移を基準に考えて、当時の1円が4千円に該当し30円は12万円となり、朝日新聞の初任給を基準にすると、1円が1万円に換算され30円は1万倍の30万円となると述べている。

それにしても、漱石さん稼いでますね〜〜!という羨望は、横において。

啄木の最初の就職先は故郷・渋民村の小学校で、3年前のこと。「天下の秀才、代用教員となって月給八円也」という年賀状を知人に出している。

当時の八円が、現在の幾らになるかと上記換算式から考えると、32,000円か80,000円・・・。

さて、記事では次の歌が紹介されている。

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ

この歌について石井辰彦と署名されている方は、「啄木は一生の仕事を文学と考えていただろうが、早死によって達成できなかった」旨の言を述べられ、次のように結ぶ。

この一首("こころよく"の歌)の3回繰り返されるシの音の鋭い響きは、そんな啄木の過酷な運命を暗示しているかのようだ。
(カッコ内は引用者)

■参考:石川啄木(wikipedia)
■参考:
http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070407/1175926997(過去ログ)
http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070420/1177014483(過去ログ)