けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 小説と対峙する丸山健二

2008年7月3日付け日本経済新聞(夕刊)に、「群れないで生きる:丸山健二さんに聞く」というインタビュー記事が掲載されていた。

丸山健二については、

http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20080501/1209628239

でも少し書いたのだけど、私にとっては癖のある作家というイメージ。一般的にもそうだと思うな。さて、上記記事から引用してみましょう。

筆一本、作品のみで生きていく小説家の世界は、自由を求める無法者やアウトサイダーと重なるという。破綻した精神を秘めている点で共通するというのだ。

とインタビューアーが話を振って、丸山応えて曰く、

ただし、破綻した精神が必要だからといって、それだけでは中途半端で、ろくな小説は書けません。それをしっかり管理できる能力、健康な肉体と自立や独立の精神がなければだめですね。

この辺りは、丸山健二節ですね。健康な肉体と自立の精神。出版社に前借して、不摂生を常としている、というひと頃のブンガク者像をボコンと壊しています。

続いて、

編集者の注文に合わせて雑誌のエッセーの連載もたくさんこなしたが、四十歳のころ、小説そのもので勝負しようと決意した。(略)締め切りに追われたような荒れた仕事は絶対にすまいと決めました。まともな小説を書くには体力と節制が必要で、毎日コンスタントに書き続けることが大切。射撃と同様に休むと腕が落ちる。眼力と腕は違います。

この辺りにも、禁忌たる「体力」あるいは「節制」という言葉が出てきます。そして、これは別のところで読んだのですが、小説家として食っていくには、エッセーやらなんやらでカネを稼ぎ出さねば、ギリギリとのこと。記憶が定かではないけれども、

まだ見ぬ書き手へ

まだ見ぬ書き手へ

に、そのようなことが書かれていたと思う。

丸山健二から離れるけれども、食っていけない小説家のために、文芸雑誌が存在するという話もどこかで読んだ。雑誌に連載することによって、小説家に原稿料が収入となり、連載がまとまったところで書籍化して、印税収入が発生して、と。

で、丸山健二は、「エッセーの連載」、そして締め切りに追われた仕事=「小説の連載」を止めて、まともな小説に立ち向かっている。

このような姿勢。私も見習いたいものです。いや、私は小説家やライターではないですけど・・・。