という本を読んでいるのだけど・・・、ということは何回か書いているのだけど。こういう本は、風呂に入りながら、目を(@_@)にして、アッという間に読んで、「ふむふむ」な部分だけを記憶なり、記録に残して、フンジャラケッケでおkだと思う。
しかし、微妙に読み飛ばすことが出来なくて感銘を受ける部分、そして他、がありダラデレと読んでいる。
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さて、「そして他」について。佐々木俊尚氏が、デジタルジャーナリズム研究会*1に参画した目的というのが、
自分の被った外部からの批判に対する、負け惜しみ
を声高に主張することだったのではないかな?と思った。
それは、「ことのは」云々だけではなく、それ以前の「批判的なトラックバック」についての弁明、あるいは当該TBに対する揶揄。そして、自らの主張(一読者である私には、「ジャーナリズムを考える」という文脈からは到底、理解し難い主張と、(笑)という文字に込められた侮蔑的な憂さ晴らしを感じた)の紙面での批判を目的としたものと思えて仕方がない。
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この先は、私の想像。
毎日新聞と言う巨大メディア(っていうのかな)に所属していて、ナニか理由があり、そこから飛び出してフリーになった佐々木氏。おそらくは、フリーであることの不自由、あるいは辛酸をベロベロと舐めたのだろう。そこで、自らの毛穴に命じたことは、「自らへの批判的言論に対して、徹底的に対抗しなくちゃならんべ!」という姿勢だったのではないだろうか?
これが本当に、IT「ジャーナリスト」なるものが、ジャーナリズムを語ることとして、一つの歩みになるのだろうか?ぶっちゃけ書くと、佐々木氏のように感情的に盛り上がり、対抗言論に対して逐一「恨みはらさでおくべきか!」という方々は、「ジャーナリズム」から離れた方が良いのではないだろうか?ましてや、自称「ジャーナリスト」と名乗るのは、そろそろお止めになっては如何でしょうかね?
少なくとも「ジャーナリズム」を語る書籍において、「ジャーナリズム」を外れてしまった主張をする佐々木氏は、リズムを外して踊っているつもりの木偶人形みたい。・・・というのが、私の感想。
付記
問題部分の引用は、暑いので明日書きます。
*1:えーと、本の表紙ではそのような表記。本文中では、デジタル・ジャーナリズム研究会。どっちなの?