私は、飲み屋のツケ、失恋の傷跡、あるいはケンカについて、年を跨いで持ち越すことが嫌いな人間である。したがって、先日、2006年12月2日、かつて、散々罵倒してきた佐々木俊尚氏にメールを出した。
その送信メール内容の「一部」をここに記載する。記載する理由は、後述。また、全文ではない理由は、「ことのは騒動」について触れた部分を掲載するのは、蒸し返しになると考えたからである。
さて、以下、メール本文である。
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はじめまして、こんにちは。けろやん。と申します。匿名、そしてフリーメールにて失礼させていただきます。
BigBang氏が書かれた下記の2エントリ、
1.http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/11/post_c402.html
2.http://d.hatena.ne.jp/BigBang/20061128/p1
を読みまして、BigBang氏が佐々木さんとお会いしたことを知りました。また、「佐々木氏、けろやんのエントリー気にしてたよ。ぼくなりに説明しておきましたけれど。」というBigBang氏のコメントを読み、私の佐々木さんへの意識をお伝えしようとメールを書いた次第です。
まず、現実に対峙した席上で、とても口に出来ない批判(罵倒ですね)については、ネット上ということもあり、過剰であった部分もあり、申し訳なく思っております。
(略):この部分で、「ことのは騒動」における佐々木氏への批判を書いた。
ここまでは、「私のエントリーを気にしていた」(BigBang氏談)佐々木氏なら、私の考えが、お分かりになると思います。分り難いと思われるのは、批判した二つ目の理由です。
それは、所謂「参加型ジャーナリズム」の構図です。オーマイニュースに例えれば、小さな収入を欲して記事を書く「記者」は、非常に少ないと思います。掲載されることを楽しみに自らの時間を削って書く人が大多数だと思います。その楽しみを「利用して」広告収入等に還元する構図。私には、書き手の時間を、書き手に意識させずに搾取(大袈裟ですが)する構図に思えて仕様がないのです。
ジャーナリズム側は、安価に記事を手に入れて、記者は楽しむ。悪いことはないではないか?と思われるかもしれません。しかし、記者自身は、掲載されるか分らない記事を書く時間で、他に意義あることを行うことが出来る可能性もあります。その可能性を意識外へ排除して、安価に記事を入手する構図。八つ当たりかもしれませんが、これに嫌悪感を覚えるのです。泉さんの報道機関構想にもその形跡があり、「奴隷制ジャーナリズム」と書いたことがあります。以上が、現行の「参加型ジャーナリズム」に対する私の嫌悪感であり、その一端を担う佐々木さんへの批判に繋がっているというのが、私の意識です。
(略):この部分で、「連邦軍」云々ということについて書いた。*1
ご多忙中、長文を匿名にて失礼いたしました。
けろやん拝
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で、これを掲載して何が言いたいのか?というと、まず上記の思いについては変化していない。ただし、その「構図」すらも超越する事態が、跳梁跋扈しているようで、嫌な感じがする現在。これについては、いつか書く。