けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 薄っすらとした匂い

私は、ブログというツールが、web2.0のシンボルとしての「旗幟」に祭り上げられたと考えている。このことについては、web2.0が死語であるかどうかは、さておき、概ね一般的な理解であるかと思う。一方、ブログの書き手はなんらかの「旗幟」を鮮明にすることで、彼はブロガーという存在にのし上がる。そして、その先には、モノクロの現実世界が着色されるのかもしれない。

しかし、私は、ブログ、あるいはSNSというツールが、現実世界に好影響を与えるという薔薇色の幻想を受容しない。それは、ブログの書き手という理論的には、世界中に自らの言論を発する権利に満足しているからである。そして、これは、言葉の発信者としての矜持に他ならない。

もっとも、

このたび2007年1月の紹介料のお支払い手続きを開始いたしました。しかしながら、 1月末時点での累積紹介料がお支払いの最低金額を満たしておりませんでしたので、次の月に繰り越しをいたしました。

というAmazon氏からの一通のメールに、薔薇色の幻想を打破されたことに起因するのは事実かも知れない。なにしろ一所懸命にAmazonアソシエイトに参加した結果が、このザマーである。

−−−
さて、本題。

スポンタ氏は、「旗幟」を鮮明にしながら、ブログ世界の「旗幟」とは、遠く離れた辺境で参加型ジャーナリズムを叫んでいた(失礼)。その彼が、満を持してメインストリートに躍り出るらしい。

http://plaza.rakuten.co.jp/sponta/diary/200704260001/

かねてより、固有名詞をあげずに言及していましたが、日本新聞労働組合連合のシンポジウム「ネットは新聞に何を突きつけているか」にパネリストの一人として参加することになりました。

うむ。主催者が、こういってはなんだが仰々しく怖ろしげで、私は恐い。そして、出演陣の面々を眺めるに、ネットと新聞という対立軸に群がり集う心が透けて見えてしまう*1。それは、薄められた劇薬が載せられた円卓を囲む中世の絵画を私の脳裡に想起させる。

だがしかし、オーマイニュースに懐疑的な悪態を吐きながら、そのシンポジウムを眺めていた遠い眼差しからは、時が流れたということかもしれない。スポンタ氏個人を考えると。

<参考>
旗幟(きし)

*1:偏屈な私の印象かも知れませんが。