けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 文章診療士なんて流行るんではないだろうかね?

文章心理学といえば波多野ナニガシ氏が有名である。で、ナニガシがナニであったのか調べるために、"文章心理学"でGoogle回してみたら、

文章心理学入門 - 電子書店パピレス

が表示されて、めでたくナニガシが完治であり、文章心理学といえば波多野完治氏が有名である、と冒頭を綺麗にすることができました。いやあ、インターネットって素晴らしいですね!

−−−
さて、 草上仁「文章探偵」(早川書房)。

文章探偵 (ハヤカワ・ミステリワールド)

文章探偵 (ハヤカワ・ミステリワールド)

文章が犯人を暴き出す!

という帯の惹句が、ヒラヒラと魅力的に踊っていたので、昨年くらいに読みました。看板に偽りはないのですが、文章心理学的アプローチ*1ではなく、単語の誤変換が「文章探偵」の探偵方法。

・・・と書くと、「つまんねえ本だなぁ!」と思われるかもしれませんが、広義のメタミステリと私が考えている「読者を欺くことを目的としたミステリ」としては、非常に上質です。というか、どんでん返しが多すぎて、最後の最後はカラクリを理解することが出来なくて、ミステリ小説読了後の醍醐味であるカタルシス(恍惚感)を得られませんでした。要再読>自分

−−−
表題に戻って、文章診療療法について。weblogというように航海日誌的に日々蓄積していくログの山塊。この利用方法については、ミスターweb2.0の梅田モチオ氏(漢字を忘れた)なんかの王道派は、ログを共有する、すなわち公開することで、マッシュアップが云々という言説*2を講じています。

あるいは、公開していたとしても、個々人が書き手であるので、昨年の今日はナニをやっていたのだろう?と思い立ちて、昨年の今日をクリックすると「ああ、酔っ払って定期入れを落としてしまったのだったっけ。あれにはとても困ったことだよなあ・・・」ということが分る。あるいは、今日、思いついた気になる事柄を自らのブログ内で検索すると、過去に同じような事柄について、思いを馳せていたことが分るという、使い方も提唱されているようです。

そこで、一歩踏み込んで、何年間かブログというものを書いているならば、その時々の心境変化が、行間から読み取れるのではないでしょうか?その心境変化という、謂わばボラティリティから、

  • 「けろやん。クン(`・ω・´)、キミの今の状態は絶好調だね(`・ω・´)!文章にリズムがあるし、文章が卵肌でツルンしているよ(`・ω・´)!」
  • 「けろやん。くん(´・ω・`)、キミの今はダメダメだね(´・ω・`)、(略)現実世界でもダメダメでしょう(´・ω・`)?」

というような、判断が「文章診療士」によって下される、ということがも可能かな、と思います。文章診療士、別に資格を持った専門のスタッフでなくても出来そうです。というか、一つのブログをヲチしている読者ならば、ブログの書き手の状況(精神・肉体的状態)が、ある程度、読み取れて行くものではないでしょうか?

そして、これはブログの読者でなくとも、当該ブログの書き手でも、というより書き手の方が、より詳細に判断できるような気がします。二年前に書いたブログのエントリ、あるいは、一年前、一ヶ月前のエントリを読んでみましょう。「ナニ」を書いたかも重要ですが、「ナニ」について、「どのように」書いていたのか。そんな気持ちで読み直してみるのも面白そうです。

もちろん、書いている自分は、ブログというストリップ劇場で、「書いていない」ことも分っているはずです。そのような、外的環境下において、自分が「ナニ」を「どのように」公開を目的にして書いてきたのか。

私も、何年かしたら、自らが書き綴ってきたことを通読して、振り返ってみようと思います。

(付記)
"文章心理学"でGoogle回してみたら、トップに来たのは次のurlでした。

私見ですが、文章中に読点(、)を多くうつ人は精神に障害を持つ人が多いと思います。そこで文体の癖を心理学的に解説しているサイトをご存じの方があればご教授願います。

ふむ。

*1:あまり詳しくないので、突っ込まんでください。

*2:間違っているかも知れません。