けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 ”絵文録ことのは”メモ

『ことのは』さんが、一つのケジメを付けた。流れることのはは、これが最終決着ではないだろうけれども、一つの山を越えたのかな?って思う。『ことのは』さんのブログサイトを知ったのは半年くらい前かな?小さなフォントが全盛に、大きなフォント。「垢抜けない、チッケなサイトだなあ」と思っていた。しかし、読み始めてみると惹きつけられた。論調が、時に唯であり、時に否であったけどその明確さは、単純に読み易く、賛否決し易く思った。

そう思うと不思議なもので、論調以上に「構成、外見」が気に止まった。私のチンケなブログも、「ちいとは読み易くしようかね?」って思ったのは、彼のブログを評したエントリがきっかけだ。すなわち、読みやすい論調で書かれた、読みやすいサイトというのが、私の彼のサイトに対する認識だった。

一つの山を越えた。「過去は過去であり、現在の姿が大切だ」という、反論し難き倫理律が存在する。ジャンバルジャンとか。だがしかし、個人的には、大袈裟な深層心理に至らぬ浅い感情レベルで、違和を払拭できない。寛容じゃない性格故か?本音を語るならば、信仰は否定しない。しかし、”団体”として群れ集う浅はかさへの嫌悪。なんで一人、哲学を学び追求しないのかな?という疑問。私は、それがわからない。信じるなら、一人で信じるよ。

さて、実名匿名論争は、ネット上の大きなメタネタとして機能してきた。しかし、今回の騒動を見るにつけ、実名とは社会的HN(=ブランド)*1なのだな、ということを実感した。例えば、私という人間が、戸籍名という実名でブログを書いても、ブランドが圧倒的に欠落しているために、実名機能は果たさないこと。これは、衆目一致な理解かもしれないけど、自分は膝を打って得心したので、自分の備忘録。
  
今回の騒動の実り?はなにか。実名匿名論争に加えて、[現在−過去]という視点が浮上したこと。他の有名ブロガーさんたちは、大丈夫なのかな?ネット世界は、奇麗事にまつわれても、どうしても匿名空間だ。ブログという、簡易なツールの出現で、敷居は撤去された。『ことのは』さんが、主張するように、テキストを読み込むことがネット・リテラシーである、ことを徹底するならば、ネット世界も安泰だろう。私には、そんな力はない、と思う。

web2.0とか、カッコいいけど、所詮、ネット世界って、何年も前から変わらない、魑魅魍魎が跳梁して、跋扈する、そんな世界なんだと自覚して、「テキストを読み込む」ことが大切なんじゃないかな?って思いました。

(本稿以上)

2006年12月28日、k2から移行。

*1:http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060313/1142207684にインスピレーションされた”ブランド”という言葉です。