けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 紙の新聞紙も捨てたものではないと思うな。

新聞衰退論というのは、ブログ世界が始まってから、しばらくしてその論が勃興して、沈みはせずとも、なんらかのトリガーがあって盛り上がる傾向があるように思います。

で、今回の下記エントリは、毎日新聞のオンラインサイトの問題がトリガーとして、浮上したエントリ、、、とは言い切れない、新聞衰退論の肝が指摘されている良いエントリだと思います。

でも、私個人としては違和感を感じた部分もありますので、それも書いておきましょう。

2008-07-27 新聞業界 崩壊の理由5つ、いや6つ

ふむふむ、と納得した部分を、まず引用してみましょう。

毎日新聞がわざわざコストかけてネットで英語記事を書く必要って何?」という超基本的な点。“日本語かつ紙媒体”という本丸市場の方でさえ「毎日新聞不要論」が根強いのに、なんで毎日が英語で記事書く必要ありますかね?

元エントリで指摘されているように、「管理できない記事を垂れ流していた毎日新聞」という図式は多分真実だと思います。で、「コストをかけて英語記事を書く必要」って、客寄せさんだと思うのだけれども、管理できない(出来ていなかった?)記事を「毎日新聞」のドメイン下で垂れ流したのは、おかしな挑戦だと思いますね。

現状打破!気取りで、会計は「今期予想はトントンです」みたいな、ベンチャー企業みたいな。ベンチャー企業が、トントンとかおかしなことをやっても、「まあ、ベンチャー出汁ね」という面はあると思うけれども、既存の毎日新聞がそれをやってしまったら、そりゃバッシング(or大きなネタ投下)だろ?と思います。

その後、引用元エントリでは、新聞の戸別訪問「商法」について詳述されています。これについては、私自身も

若い人でこんなの受ける人いません。だって家にいないもん、みんな。昔はどの家も、主婦と親世代が家にいました。だから個別に家に行って営業できたんです。

というように、私は「若い」ので、戸別訪問の経験がないので、あまりわかりません。

で、ちょっとどうかな?と思った点です。

新聞の権力性がどこにあるかといえば、それは「どの記事を紙面に載せるか」という判断権を持っているという点にあるわけです。何を載せ何を載せないか、何を一面にして何を後ろに持ってくるか、それぞれの記事をどの大きさで報じるか。

これは、権力としての新聞として捉えたとしても、結構、重要な点だと思いますね。finalvent氏が、毎朝、大手社説の論評をされていますが、その元ネタ社説はネットで拾えるけれども、各新聞社の「伝えたいこと」を位置づけて書き綴り、紙新聞に掲載しているものだと思います。

そして、社説を含めた記事に対する「軽重」で、「その日の各新聞の思い」というのが分かると思いますね。*1これは、基本軸としてのウヨサヨというレッテルを離れて。

そして、記事掲載のレイアウト。私は、これを結構気にしています。経済記事では、小さな図表を掲載して分かりやすくしているか、文化記事では、元ネタの写真画像の取り扱い方とか。

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さておき、一番違和感を抱いたのは次の論。

第一にネットには「紙面の量の制約」がありません。どの記事を載せるか載せないか、という判断は不要なんです。全部掲載しても誌面が足りなくなったりはしない。
次に一面という概念がない。確かにウエブにもトップページや特集ページはあります。しかし読む人の大半は「検索」したり好みのカテゴリーから順に読み始める。何を大事と思うかは、新聞社ではなく読者が決めるということになった。
(太字化は引用者)

「自由って一体なんだい♪」だと私は思います。一面という人を惹きつける概念がなくなり、読者は「検索して」興味ある記事を読んで満足する。あるいは、不満に思って、パソコンをぶっ壊したくなる。

ただし、興味ない記事に関しては、状況・構造を理解するための努力もせずして、パソコンをぶっ壊したくなる論調に怒りを感じず、遠いという感覚すら抱くこともなく生活する。これは、どうなのかな?

私は、紙新聞の良いところは、興味ある記事に肯いたり、調べてみたいと思ったり、「なんじゃこりゃ!」と怒って、完結するのではなく、脳が活性化(あるいは怒り心頭の状況で)隣の記事を読んだりして、興味を広げていくことだと思っていますね。

隣の記事。米国のファニーとフレディの横に、掲載されていたりする「源氏物語の新しい写本が発見!」とか、あるいは新聞の下の書籍広告だったり。話は逸れるけれども、書籍広告って、単なる「広告」ではなく、各出版社が力を入れている本はなんなのか!とか、世間で売れ筋なのは「こういう種類の本なのか!」というようなことに想像が広がって面白いですよ。

こういう横道の「遊び」は、

何を大事と思うかは、新聞社ではなく読者が決めるということになった。

というネット世界では、なかなかに得難いものだと思います。

*1:最近は、個別「記事」の論調と「社説」という新聞の総意が乖離していることがあり、驚きますね。