けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 蟹工船のセンタリング

朝飯を食いながら、TBSの「サンデーモーニング」の「風をよむ」コーナーで、「日本人の”労働意欲”低下?」という特集を見た。三ヶ月で45万部(!)売れているという「蟹工船」から格差社会に話が流れて、日本人の労働意欲が低下しているのではないか?という三段飛びみたいな構成だったけれども、面白かった。

街の声では、(35%を占める)非正規雇用者が、雇用者側も使い捨てという心理状況下で、意欲的に働くはずがない、新しいことをやろうという余裕がない、というような言葉が紹介されていた。あとは、目先の結果を求める成果主義が、長期的スパンで考えながら働くという「遊び」をなくしてしまったのだ、という声も。

コメンテーター陣では、中西哲生(元サッカー選手)が、(サッカーの試合では)選手は目の前に在る結果を出さなければならず、そうすると選手たちはミスをしないように「守り」に入ってしまう、と述べていた。たしかに、余裕があれば色々なアイデアを試して、もしそれが成功すれば、更なるアイデアに挑戦できるだろうなあ。

これは、サッカー日本代表戦でよく見かける光景につながるかな。どうしても点を取らなくちゃならない試合終了直前、強引なパワープレー(ゴールから離れた所からボーンとゴール前にセンタリングを入れるプレー)に走ってしまう。これも、時間的余裕の欠如からくるノー・アイデアなプレーだろう。

でも、不思議なことに、これで点が入り、首の皮一枚でつながることがあるのは、火事場のくそ力かな。というか、ミスもクソもない状況だから、時間的には余裕がなくても、「守り」に入らない(入れない)ことが大きな原因かと思う。

他にも、個人的には頓珍漢発言が多いと感じる浅井信雄国際政治学者)が、過激だけれども印象深いことを言っていた。現在は、餓死者が大量に出ていた戦前、戦中のように社会ではなく、当時としては、食うためには仕事を選ぶことなんか出来なかった、ということ。

この後のコメントが、肝であり、この部分だけ引っ張ってくると、浅井信雄という人物に、嫌な印象を与えてしまうかも知れないけれども、私にとっては、この部分が極めて印象的だった。現在は、たとえ労働意欲が低くても、なんとか食っていくことが出来る。もちろん、それが「良い社会」だとはとても思えないけれども。

そんな、仕事を選ぶことも出来ないまま蟹工船で働く、あるいは、強引なパワープレーも(必ずしも)必要ではない社会。現在は、このような中途半端、あるいは夢と現の狭間のフワフワした社会なのかな。

しかし、そんな社会が一番タチが悪く、生きにくい環境なのかも知れない。

■参考
サンデーモーニング(wikipedia)