けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 規範のうちでぶっ壊すことについて。

Facebookに書いたものを転載〜

滝口悠生の新作とインタビューなんかが気になって購入した「文學界(2016年3月号)」。おっと小林秀雄についての論考が掲載されていたのを発見したぞ!若松英輔「美しい花 小林秀雄」の連載第十四回。メモしておこう。

革命が世界観の変転を意味するのであれば、心の意味において自己の精神に革命を起こすことなく、世に革命をもたらすことはできない。それは「様々なる意匠」以来、小林が抱き続けた信条だったといってよい。

マルクス主義あるいは左翼文学と小林秀雄の関係を論じてみても、豊かなものがもたらされるかは疑わしい。小林の文学は「主義」という実態のないものから世界を眺めまいと決したところにはじまったからである。

左翼の党派性が苦手な(いや大嫌いな)私にストンと腑に落ちた。小林秀雄は「常識を壊して壊して、最後に残った原石を磨け」って繰り返し述べているんだけど、一方でその手法として規範の大切さを説いている。
規範ってなにかって考えると、外部性(たとえば他人に迷惑をかけてはいけないよとか)の意識だと思う。意識って書くとえらそうかな?うん・・・生活するに際しての自覚って書くほうがわかりやすいな。
武力革命を企図した(新旧)左翼の人たちであったり、あるいは校舎のガラスを叩き壊した尾崎豊であったりに、私は生活の姿を感じ取ることができない。人々に迷惑をかけていることに自覚が足りないから。少なくとも私には感じられないから。
私は、(実現できているかは定かではないけど)規範というものを自覚して生活を送っているよ!ということです。
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こちらに貼っつけて、改めて読みなおすと、私って本当に詰まらぬ人間であるなあ(´・ω・`)と思わないでもないなあ。