けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 人皆生を楽しまざるや、死を恐れざる故なり。

メモ。2017年2月11日(土)に、高校で古文教師をしている知人から「けろやんは小林秀雄が好きだから、小林の書いた(兼好法師の)「徒然草」について読者として意見をいただけるかしらん?」てな依頼が舞い込んだ。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

私は、小林の「徒然草」を読んでいたこともあり(あまつさえ抜書もしていたので)ハイテンションで手帳の片面に20分位で書き上げたて、先生に写真で送った。「良いサジェスチョンをもらったよ!」とのこと。

この箇所は、批評家たる兼好法師に小林が自己を投影して論を進めたのであろうということ。テクストにも書いてある。

兼好の歌集は「徒然草について何事も教えていない。逆である。彼は批評家であって、詩人ではない。

ここで、私が調子に乗ったのが大間違いであったのは後の祭り。
後日、サイゼリアで野菜サラダとドリンクバーを占拠して対面で話に進んだとき、緊張感に溢れかえっていた私は、先生がやってくる30分前に到着して関連資料を山積みにして水を飲んで喉を潤していた。
まずは相手の先生もわかっていたことだけど、兼好の「徒然草」は、決して筆のおもむくままに綴った随筆・エセーのたぐいではない。引用する。

彼には物が見えている。人間が見えている。見え過ぎたている、どんな思想も意見を彼も動かすに足りぬ。

さて、わたしが泥の間に入りこんだのは以下のくだり。
私「小林の「徒然草」論は批評家としての兼好への投影・憧憬だけではない。小林が批評家として生きる覚悟そのものの決意表明であるのだ」なんてこっちゃなこっちゃを言ってしまったんだよね。
もちろん無下方言ではない。小林が「様々なる意匠」で文壇にデビューしたのは1929年(昭和4年)、「徒然草」執筆されたのががそれから13年後(1942年)の44歳のとき。私は、小林が44歳(私の同年だ)に至り、青臭い批評家として脱却しようという自己を確立すべき決意表明だと思ったんだ。
引用する。

無碍に卑しくなるなる時勢とともに現れる様々な人間のみがしていやしていない。

これは1942年、太平洋戦争の翌年である。ここに小林の彼我があると思う。批評家として生きる彼我が。
ーーー
さて本題。
高校の先生から古典研究の方法論について、厳しく教わった。テクストに書いていないことは、すべからく「かもしれない」というスタンスで捉えなければならないということ。
もちろん自分の解釈を鮮明にするのは(研究であるがゆえに)もちろんのことであるが、最終的には「テキストにはこのように書いてある。さあれども自分はこのように考えている。しかすれどテキストにはかくあれり」という研究手法であるということ。
私は若干パニック気味の前後不覚になってしまい、古典作品や(「徒然草」は読みたいとおもっていたんだけどなあ・・・)小林秀雄は、読めなくなっちゃって本箱の奥に仕舞い込んでしまったよ。

徒然草 (4) 全訳注 (講談社学術文庫 (431))

徒然草 (4) 全訳注 (講談社学術文庫 (431))

余談。
兼好「徒然草」には次の一節がある。引用してみよう。

人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。

みんなはなんのこっちゃかわかる?私にはわからなかった。逆に考えてみるとわかるよ「人生一回きりだから大いに楽しもうという人は、死を恐れているから」ってこと。古典研究の姿勢も学んだけど、この言葉には深い感銘を受けたな。