けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 ネット選挙法案成立へ:二次元の鮮明、あるいは襟元の処理について。

法案が成立するそうな。
参院選から解禁へ きょう法案成立 2013.4.19 07:02

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4月11日の記事。

ネット選挙解禁法案、全会一致で衆院委可決 月内成立へ
これまで禁じられていたホームページ(HP)やツイッターフェイスブックなどを利用した選挙運動を可能にする。ただ、電子メールを利用できるのは政党と候補者に限定した。

これ、朝日新聞。昨日(4月11日)の夕刊にも同内容の記事が掲載されていた。解禁されたの「有権者に対する宣伝」(失礼)であり、ネット投票が解禁されたわけではないらしい。
わからないのはここ。

ホームページ(HP)やツイッターフェイスブックなどを利用した選挙運動を可能にする。

おや?ブログがないぞ。もしかしてブログはすでに解禁されていたのかな?他の報道を調べてみた。まず、読売。

ネット選挙運動解禁へ公選法改正案、衆院委可決
改正公選法成立により、ブログやホームページのほか(略)ウェブサイトを通じた投票の呼びかけが全面解禁される。

おお!ブログ登場。次は産経。

法案、衆院倫選特で可決 月内成立確実に
選法改正案は、選挙期間中もホームページなどのウェブサイトの更新を認める内容で、電子メールの利用は政党と候補者に限定する。

とりあえず「ツイッター」とか「フェイスブック」とか書くの面倒くさかったっぽい。なんにせよ、読売ソースでブログ活動も解禁されたみたいだ。
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さて、私は立候補者による電子媒体上での選挙活動については下記のように考えていた。

けろやん。メモ:……きこえますか……きこえますか
現在では死語となっているかもしれないが、個人ホームページを立ち上げて、上記の信念糖を記載し投票者へ問うという形でよいでしょう。当然ながら当該ホームページは、ある程度の長期に渡って、普遍不党なる自らの、政治理念を掲げて置くべき。

この主考えは根本として変わっていない。立候補者の政治理念は不偏不党なるものであるという点において。しかし、流れていく個別のイシューへの対応を考えるとホームページのみならず、ブログ等を利用して政治理念を「更新」していくことも必要かなと思い至った。
これは、立候補者のみならず私たち投票者たちにとっても必要であり、かつ利するであろうと。たとえば、ブログを利用するケースを考えてみる。
私(立候補者)「これまでアベノミクスという言葉は大嫌いだけど賛成を表明していました。しかし「三本の矢」の三本目、すなわち成長戦略の一環である雇用環境に関する政策が明らかになった*1現在においてはアベチャンはダメである
私(立候補者)「明日は東横線の地下化でパッシングされてしまった渋谷駅*2の死語となったヒカリエ前で街頭演説を行います。私の生の声を聴いていただきたいな。よろぴく!」。
さてここまでは譲歩してみよう。詳しくは後述。
次にわからないモノ。YouTube等の扱いが不明。たとえば、次のケースではどうなるのだろう?

R30:政治的に(ぎりぎり)正しいメディア・アート

ここで触れられているメディアなんとかについては、選挙管理委員会等で議論が紛糾していた記憶がある。論点は二つ。
その1。公職選挙法に定められた政見放送が、その限られた時間の枠をとっぱらって、投票者が視聴出来てしまう点。
その2.YouTubeに放り込まれた「政見放送」。これを投稿したのは立候補者ではなさそうな点。
さて、YouTubeなんかは、上記「公選法改正」でどのように扱われるのかな?フォローしていないような感じがするけど、美味い対応策が出てくるのかもしれない。
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さて、ここからが本題。
ツイッターやらフェイスブックが解禁される。これってどうなんだろう。たしかに、利候補者のつぶやきがほぼリアルタイムで投票者に伝わる。私の興味を外れたチャットだけど。
私は、そんなちゃらけたチャッチングに興味がない。しかし、予想される流れとしては投票日が近づくにつれて立候補者が激化したツブヤキストになっていくことが予想される。これ、立候補者にとって恐ろしいことだと思う。
ネット世界の再確認。所謂「炎上」は基本的には現在進行形で発生するということ。これを立候補者たちは認識しているのだろうか?
逆に考えれば、その炎上への対応を通じて候補者のリアル(素)が、有権者に伝わる。すなわち立候補者の素顔が私たちに届くということで素晴らしいことかもしれない。
さて、ここからが本題の本題。
ネットでの情報発信が解禁。これによって選挙活動がどのように変わるのだろうか。候補者たちは、前述のように変貌していく政治理念をリアルタイムで投票者に伝えることが可能になる。
もしかしたら、キーボード操作とモニターをにらんだ選挙活動になるのかもしれない。すなわち街頭における生身の候補者の姿が見えなくなる。所謂ドブ板もない。田んぼに長靴もない。

私は足元を見る人間である。したがって辻立ちする候補者の足元から全景を見て甲乙つける*3。すなわち、どんな靴を履いているのか?どのような服を着ているのか?ネクタイの色は?Yシャーツ姿であるならば襟元はどう処理しているのか?マイクを握る手は?声の出し方は?髪型は?
このように、候補者の訴えだけでなく、生身の姿を晒すこと。これは、選挙活動するにおいて大切なことだと思う。呟きは文字情報である。たった二次の次元での発声である。
もちろん、キーボードのつぶやきで候補者の心中はより鮮明に伝わるかもしれない。
しかし、彼ら彼女らの生の姿を観て投票したいという有権者もたくさんいると思う。2次元空間に引きこもってはダメだぞ!

*1:あるいは具体化するというような環境変化ね。

*2:これ、地下化が決まったときに指摘されていた。

*3:いや、これは比喩的な言い方で選挙如きで足元からの全景なんてしないよ。