けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 ヒールは強くなければ国に帰れない? 

五輪柔道:石井が金 男子100キロ超級

日本柔道界隈が誇るヒール役の石井慧選手が、見事、金メダルを取りましたね。

石井は初戦の2回戦から準決勝まで4試合連続の一本勝ち。決勝ではアブドゥロ・タングリエフ(ウズベキスタン)を攻め続け、相手に指導が2回与えられて優勢勝ちした。

思えば、日本の代表選考会後、バッシングの嵐でした。柔道界に君臨していた井上康生、技が切れ愛嬌もある人気者の棟田康幸、両選手を「勝ちにこだわり」勝ち上がって、手に入れたオリンピック切符。

世間は、「石井の柔道は、柔道ではなくJUDOだ」、「ポイントを取って逃げ切るようなやり方は如何なものだろうか?」、あるいは「彼は世界で通用するのだろうか?」という批判的な声を浴びせかけていました。私なんかも、「つまらない柔道だな・・・」などと思ったりして。

ところが、結果は、

石井は初戦の2回戦から準決勝まで4試合連続の一本勝ち。

誰だよ?「ポイント取って逃げ切るだけ」なんて言っていたのは!?

ところが、優勝後のインタビューで、日本柔道界の関係者の心を逆撫でするような発言を連発していました。インタビューを抜き書きしてみましょう。

Q:初めてのオリンピック、その畳はどうでしたか?
A:滑らなかったです。ウィッス!

Q:その畳の上で一番になりましたよ。
A:あの、これで慢心することなく、あの、自分はスポーツやってないんで、戦いだと思ってるんで、帰ってまた空気椅子をしたいと思っています。

Q:そして決勝、精神状態はどうでした?
A:もう、まあ、あれが、決勝が自分の柔道です。国士館は全日本チャンピオンがどうのとかじゃなくて、国士館は負けちゃいけないというのが岩淵先生の教えだったので、あの戦いがベストで、冒険もせずに完全に勝ちにいきました。

Q:このクラスの代表が決まって怪我もありました。いろいろとプレッシャーもあったと思います。
A:いや、あの、オリンピックのプレッシャーなんて、あの、こんなん言ったら失礼ですけど、斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません。

Q:今、何がしたいですか?
A:今、しばらく遊びたいッス。あ、練習したいッス。

で、インタビュー後の放送席の反応。

アナウンサー:一番最後の「練習したいです」という発言を放送席では採用したいと思います。
篠原信一:まあ、あまりどちらかというと、石井、しゃべらない方がいいですね。

なんだか凍りついていたように思えます。

「畳が滑らなかった」、「しばらく遊びたい」はさておき、

(一本勝ちじゃなく優勢勝ちの)決勝が自分の柔道。冒険もせずに勝ちにいきました。

この辺りが、数々のバッシングに対して、金メダルを手にした石井選手としての回答かな。

オリンピックのプレッシャーなんて、屁の突っ張りにもなりません。

オリンピックのプレッシャーからか、初戦敗退が相次いだ男子柔道。敗退した彼らへの皮肉かな?とも思えますが、斉藤先生(斉藤仁)の厳しい練習に耐えて、頑張ってきたことの吐露と受け止めましょうか。

何は、ともあれ柔道界のヒールに救われた北京オリンピック日本男子柔道だったと思います。

最後に、一番、印象に残った言葉。

このたび生きて日本に帰ることが出来ます。勝てたんです。

インタビューに向かう道すがら、興奮しながら、通路の周辺にいる人々(メディア関係者?)に向かって話していた言葉です。もう一人の男子柔道金メダリスト、内柴選手の「妻と息子のために」とは、趣がことなります。石井選手は21歳。内柴選手は30歳。その歳の差も「国」から「家族」の違いに表れているのかも知れませんね。 
■付記

石井慧(wikipedia)

全日本男子監督の斉藤仁が「世界一」と認める練習の虫である。

は良いとして、「発言」が・・・。

「幸せな人には負けたくない」(同階級のライバル、井上康生が五輪を前に結婚したことについて)

「(判定や、かけ逃げでも)勝ちは勝ちですから」

こりゃ、叩かれるわけだとは思うけれども、私は率直さを買いますね。