米が底を尽きかけていたので、朝一番で近所のスーパーへ。開店時間を間違えて、早くに着いてしまったので、近所の道をテクテク散歩。空を見上げるとモクモクとした入道雲が、私を包み込むように見下ろしていた。青い空と入道雲を遠景として望む大きなビルは、まるで天空のラピュタのようでね。なにはともあれ、とても気持ちの良い朝(と呼ぶには遅いね)の景色だったなあ。
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さて、先日、他のブログのコメント欄に「ことば遊び」について、書き捨てましてね。そうしたら、世界が私を呼んでいるのか、私が世界を読んだのか*1、面白いコラムがありました。読売新聞8月13日付の「編集手帳」というコラムです。ネットでも読めるので引用してみましょう。
徳川家康が浜松城で武田信玄の軍勢に包囲されたとき、勝ちに乗る武田方は城中に一句を送った。〈松枯れて竹たぐひなき旦(あした)哉(かな)〉。「松」は徳川=松平、「竹」は武田を指す◆徳川勢が意気消沈するなかで酒井忠次が機転を利かし、〈松枯れで武田首無き旦哉〉と詠み直した。一同喝采(かっさい)したと、鈴木棠三(とうぞう)さんの「ことば遊び」(中公新書)に教わった◆濁点の付け替えで意味が一変するのも日本語の面白さだろう。
(太字化は引用者)
ちょっと、分かり難いですね。
松枯れて竹たぐひなき旦(あした)哉
松枯れで武田首無き旦哉
で、なに?という前に考えてみましょう。ポイントは「濁点」ですね。ポイントとなる部分を「秋らしくなる」(?)カタカナで書いてみます。
松枯れ「テ」 たけ「タ」く「ヒ」なき あしたかな
なんだか、ダイイング・メッセージみたいですが・・・。さておき、この「テクヒ」の濁点の有無で意味が180度変わってしまうということなのです。
最初の武田陣営から徳川陣営への句では、
松(徳川)が枯れて、竹(武田)に比するもの無い時代が始まるよ!
に対して、徳川陣営の返しは、
松(徳川)は枯れないで、武田の首が無くなる時代が始まるよ!」
というくらいの意味ですかね。
そんな感じで、「ことば遊び」は戦国の世においても行われていたのですね。
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あんなエントリにブクマするくらいだったら、エントリに書いてるバーバラ・ミントを読めばいいじゃない。
ということで、このエントリをブックマークする(人はいやしないだろうけれども)くらいだったら、「ことば遊び」(中公新書)を読めばいいじゃない。っていうか、私は読ませていただくことにします。
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*1:えーと、私が興味を持っていたから目に留まったということです。