けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 「発掘」された夏目漱石

漱石「幻の講演」、旧満州地元紙に 「人には三タイプ」

作家夏目漱石が明治末、旧満州中国東北部)の大連で行った講演の内容が、地元の「満州日日新聞」に掲載されていたことがわかった。

ふむふむ。で、人間を三様に分けています。

人には「物と物との関係を明(あきら)める人(科学者など)」「物と物との関係を変化せしむる人(軍人や満鉄社員など)」「物と物との関係を味(あじわ)う人(文芸家など)」の三つのタイプがあり、社会の進展には、三様がバランスよく発展していく必要がある、と述べる。

「モノとモノ」に対する「関係」から、3タイプの人間を提示しているわけですね。このような見方を漱石さんの姿は、今、読むことが出来る講演、あるいは評論からも窺えますが、

09年9月12日午後7時から、大連の満鉄(南満州鉄道)従事員養成所で200人の聴衆を前に1時間余り講演した。

という時期、場所においての講演内容として考えてみると面白いですね。

さて、1909(明治42)年

1909年(wikipedia)

を見てみると、

7月6日 - 韓国併合の方針を閣議決定
9月4日 - 満州及び間島に関する日清協約が調印される。

続いて、その頃の漱石を見てみると、

夏目漱石(wikipedia)

1907年(明治40年:40歳) - 朝日新聞社入社。職業作家としての道を歩みはじめる。
1910年(明治43年:43歳) - 胃潰瘍のため大吐血、一時危篤(修善寺の大患)。

40歳にして、「職業作家としての道を歩みはじめた」少し後。そして、翌年には、一時危篤に陥っています。

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さて、一番最初の引用元では、満州における漱石さんの講演について、次のような評価を下しています。

(新開地の)大連に多い『変化せしむる人』にも他の二様が必要であることや、『変化せしむる人』はせわしなく生きざるを得ないと指摘し、この視点が後の日本の開化への批判につながる」と分析している。
(太字化は引用者)