作家夏目漱石が明治末、旧満州(中国東北部)の大連で行った講演の内容が、地元の「満州日日新聞」に掲載されていたことがわかった。
ふむふむ。で、人間を三様に分けています。
人には「物と物との関係を明(あきら)める人(科学者など)」「物と物との関係を変化せしむる人(軍人や満鉄社員など)」「物と物との関係を味(あじわ)う人(文芸家など)」の三つのタイプがあり、社会の進展には、三様がバランスよく発展していく必要がある、と述べる。
「モノとモノ」に対する「関係」から、3タイプの人間を提示しているわけですね。このような見方を漱石さんの姿は、今、読むことが出来る講演、あるいは評論からも窺えますが、
09年9月12日午後7時から、大連の満鉄(南満州鉄道)従事員養成所で200人の聴衆を前に1時間余り講演した。
という時期、場所においての講演内容として考えてみると面白いですね。
さて、1909(明治42)年
を見てみると、
続いて、その頃の漱石を見てみると、
1907年(明治40年:40歳) - 朝日新聞社入社。職業作家としての道を歩みはじめる。
1910年(明治43年:43歳) - 胃潰瘍のため大吐血、一時危篤(修善寺の大患)。
40歳にして、「職業作家としての道を歩みはじめた」少し後。そして、翌年には、一時危篤に陥っています。
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さて、一番最初の引用元では、満州における漱石さんの講演について、次のような評価を下しています。
(新開地の)大連に多い『変化せしむる人』にも他の二様が必要であることや、『変化せしむる人』はせわしなく生きざるを得ないと指摘し、この視点が後の日本の開化への批判につながる」と分析している。
(太字化は引用者)