けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 物語と現実はちがうけど 

意図的ではないのだけど・・・。また、巡回するブログのコメント欄に書こうとして、長くなってしまったので、置いておこう。
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こんにちは。

チョット誤解があったかもしれないので補足しておきます。私のハードボイルド・パーソンの定義は、逃げないのです。少なくとも、

まずは逃げろ。

とか、考えない人種です。まずは闘う。そして、パンチ・ドランカーになるまで闘う。

さて、そんな危ないハードボイルドは、横において、現実問題。小飼氏エントリの元ネタid:repon氏エントリの例における少女ですが、当該エントリを読む限りにおいては、「まずは逃げろ。新天地へ行け。」という状況ではない気がして。

まずは、「闘っ」て、それでダメなら「それから逃げろ」と考えたのです。闘う相手は、(1)当該男子生徒、(2)周囲の「見る」眼、だけではなく、(3)周囲に対する自分。もちろんボロボロになるまで戦う必要はない、というか駄目だと思います。

しかし、戦うことなくして、「新天地」に行っても、変われるのかな?たくましくなれるのかな?って思ったのです。戦うことで、

自らの弱さ

というか、自らの力量を知り、たくましくなれると思うし。自分の力量を知らずして、「新天地」に行ってもどうかなるのかな?ってね。

小飼氏は、その辺りの曲折について、経験したと想像されるけど、エントリでは簡略化されていて、このまま読んでしまうのは、危ないなあ、と思って書いたのです。

また、「君の年収分」問題への安易な停戦エントリみたいにも思えたし。このエントリ単体で読む人がいたら、「まずは逃げろ」の免罪符にならないかな?という気持ちもありましたしね。

さて、小説世界のハードボイルド人種は、パンチ・ドランカーになるまでの力で闘いますが、そこは物語。大部分が、ドランカーになる前に問題は解決します。で、それを現実に当てはめて、逃げ時を忘れて、深い(あるいは深過ぎる)傷を負ってしまう人も多いのかな。

ハードボイルド。物語は物語として、一つの生き方の指針になるものだと、私は思っています。