さて、少し前に通常営業とかなんとかホザいた私は過去の私でありまして。その後、ネットを回ったら、一部でネトーカーとも称されている*1マルちゃんエントリに遭遇。
ひと頃、私を騒がせたnoonナントカに相通じるところがあるというのが、私のMarco11氏感だったのだけど。たまに読むと、やっぱり全然ちがうや。さて、引用してみましょう。
感性豊かな消費者がコンテンツを鑑賞し解釈することにより、クリエイターの心から発せられた「何か」が伝わる。これがコンテンツと人間の最も幸福な関係である。創作はコミュニケーションなのだ。
「これが(略)関係である」と書かれているけれども、私の感覚を述べるなら「この時が」最も幸福な関係だと思う。いわば蜜月(ハネムーン)。その時「何か」が伝わった消費者も、後になって思いを翻すかも知れない。
しかし、なによりも「コンテンツ」の拡散により、伝わる「何か」が増大する。例えば、ブログのエントリを「コンテンツ」とすると、そのエントリ上のTB表示や他エントリ上における引用を経て、消費者(読者)に伝わる「何か」も多様化する。
私は、そのような事態が悪いことだとは微塵も思わない。しかし、「クリエイター」にとってはキツイことかもしれないなあ、とは思う。中には、私に良質の「コンテンツ」を伝えていた良質な「クリエイター」が疲弊して、良質じゃなくなるかもしれない。そのことを消費者(私も含めて)は、常に留意しておかなければならない、と私は常に留意している。
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と、ここまでは前振り。
すべてのコンテンツは道具である。
ふむふむ。冒頭に戻って、「通常営業」を再開する私にとって、ビビンと来た言葉。Marco11氏曰くの「3次元での行動」でヘボ音楽を奏でる私ですが、そこから奏で出る音楽というコンテンツ(まだコテツくらいだけど)を道具に変貌させなくちゃな。
文脈が変わるけれども、道具。ある種の職人の中には、コンテンツよりも道具を大切にするという話を何かで読んだ。
*1:http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20071207/1196980472辺りね。ちなみに「分裂 ネトーカー」でグーグルしたらトップ表示化と思いきや・・・