けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 柚子と数の子:大晦日


友人の店につけ麺を取りに行ってきた。えらく重たくって安っちいなあ、と思ったんだけど定番のトッピング物の中に柚子が入っていておしゃれな感じ。
店の前の暖かな陽だまりの中に、おっさんが座り込みアイフォーンかなにかをペコペコやっていた。友人はその周囲をまっさらなノートを持って落ち着かない様子でうろうろ。店は行列。
「けろ、借用書の書き方わかるか?」「そんなの知らんよ!」*1「明日、カネを貸すんでいま調べてもらってんだ」地ベタのおじさんがペコペコ調べてた。
彼らの世界にパソコンという物は存在しない。
私「ノート持ってるけど、おまえ字書けるの?」。彼「ひらがなくらいは・・・」ってひらがなみたいに言って*2照れているのが可愛らしかった。
私「来年、落ち着いたら会おうよ!」。彼「おまえ、とりあえず落ち着かないとやばいじゃん!」。なんかグサリと突付かれた。本当だよなあ。
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川下の彼の店から、私の生まれ育った川上の町を覗いてみた。

きたなくて狭い家で大変な生活だったなあ、としみじみと思った。でも、それは思い返したからであって、暮らしていた当時はそんなことあまり考えなかった。あの頃は、本当に楽しかったなあ。
私の家族も周囲の家族も、父親たちが同じように働き、同じような給料を貰って、同じような車に乗っている生活だった。差異といえば、子供の数、養育する祖父母の多寡くらい。
しかし、矛盾するようだが、このような同質性を秘めたるコミュニティーにこそ、本質的、あるいは体感的な格差が発生する。
巷間で跋扈し論じられている「格差社会」は、境界線(ボーダー)の「あちら」と「こちら」に主眼を置いている。
すなわち所謂「格差社会」と呼ばれる言説のそのほとんどが、根本認識を誤ったまま流用し主張されているものだ。
では、境界線とはなにか?話すと長くなるので書かない。大晦日というステキな日に書くのもおかしな話だしね。
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数の子の塩抜きがとても美味くできた。

*1:年末年始に作成できないと思う。

*2:ちなみに彼は何処で習ったのか知らないけれども、私なんかよりずっと綺麗な字を書く。まあ、身体に似合わず女子高校生みたいな丸っちい字なんだけどね。