けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 一年前 

3.11。有名なブロガーさんたちが、これから大いに語るだろう。
−−−
おそろしい大津波が町を襲った。町は壊れた。しかし、その直後、福島原発が火を吹いたこともあり、各局各誌の報道は拡散した。町の悲劇が忘却されることはなかったが、ニュースとしては原発事故に軸が移されていったと思う。もちろん、原発周辺地域の人々の強制避難という悲劇も背後には厳然として存在していたが。
しかし、たとえば週刊誌AERA原発報道(あるいは計画停電等)に傾斜して、一体いつまでキャンペーンを続けるんだ、と思うほどだった。町の惨状はどうしたんだ?と私は思った。私はAERAに対して、特段の思想信条を持ち合わせているわけではない。単純に読者としてうんざりしただけだ。
また、私は災害発生時に日本に滞在していて、被災地を回る人々に感動を覚えていた。これも、外野の人間の戯言だと不遜のそしりは免れないかもしれない。
楽団が帰国した中、ただ一人日本にとどまり、なんとか「歓喜の歌」で追悼と祈りを捧げたズービン・メーター。
http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20111231/1325315438
放射能汚染が危惧される中、公演を続けたシンディ・ローパー。彼女はアメリカの最下層の出自を持つ。Wikipediaには記載されていないことも、やっていた。彼女が先日、東北の小学校を訪れ「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」をアカペラで歌った。往年の歌声ではなかったかもしれないが、小学生たちは感動していた。涙ぐむ生徒もいた。
チャリティーサッカーで期待通りの、いや期待はずれの、いや期待なんてまったくしていなかったかもしれないカズのゴール。そんなことに涙腺をうるませる私は間違っているのかもしれない。
所詮、私は、内野の人間ではなく外野の人間なんだな、と実感した。
−−−
そんなことを今週号のNewsweekを読みながら思った。