けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 美しい言葉の考察〜村上春樹の常套句

「BRUTUS」09年11月1日号の第一特集は「美しい言葉」ということで、村上春樹文学、ミスチル甲本ヒロトの歌詞がとりあげられている。ミスチルはどうでも良いのだけれども、村上春樹甲本ヒロト(主として後者)に誘発されて購入。

村上春樹については、高橋源一郎が春樹文学について解読を試みていて、面白い箇所は面白い。例えば、「風の歌を聴け」からの引用、

この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。

について、高橋は次のように語る。

この作品が発表されたとき、みんなびっくりしたのが上記引用。こういう文章は『風の歌を聴け』まで存在しませんでした。意味がないから(笑)。いつ始まっていつ終わるという数字に意味はない。村上さんは「その意味のないこと」を書くことにしたのです。

ふむふむ。あの書き出しはそういう意味だったんだ。もっとも著者の村上春樹は、どう考えて書いたのかわからんけれどもね。

その他に、村上春樹の有名な翻訳文体について読解してみせる。そして、その対極としてある非翻訳文体は「ノルウェーの森」だそうで、同作品については、すっかり忘れてしまっていますがが、なんだか読み返してみたくなりました。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ただし、私がこれこそ村上春樹の文体であり、これこそ読者を惹きつけるんだと思っている文体が紹介されていませんでしたので、引用してみましょう。「ダンス・ダンス・ダンス」からです。
ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

でもとにかく、何か喋ろう。自分について何か喋ることから全てが始まる。それがまず第一歩なのだ。正しいか、正しくないかは、あとでまた判断すればいい。

○○しよう。そうすると○○になる。それが○○なんだ。それについては○○すればいい。

これこそ私が春樹節と思っている文章ですね。「しよう」と自分語りをしながら、それを読者への呼びかけに昇華する。そして断定の言葉をはさみ、最後に第三者、というより外側に投げかけ、「しよう」という自分語り=読者への呼びかけを強固なものする。

上記引用には、リフレインがあります。引用してみましょう。

喋ろう。そうしないことには、何も始まらない。それもできるだけ長く。正しいか正しくないかはあとでまた考えればいい。

これは、先の文章のリフレインであり、凝縮した表現になっています。細かいところをつついてみると、

正しいか、正しくないかは、あとでまた判断すればいい。

正しいか正しくないかはあとでまた考えればいい。

「正しいか」の後に「、」の有無に差異があります。後者は、一気にセンテンスを読ませようという作者の意図が明白ですね。「いや、べつにそんなこと考えていなかったよ」(by.春樹)かも知れませんけれどもね。

さて、上記引用が英語ではどのように語られているか、引用してみましょう。

Dance Dance Dance

Dance Dance Dance

・・・いずれも見事にスルーされていました。いや、ホントに一言半句バッサリとカットされています。

蛇足として、「Dance Dance Dance」の冒頭部分を引用してみましょう。

I often dream aboout Dolphin Hotel.I'm there,implicated in some kind of ongoing circumstance.All indications are that I belong to this dream continuity.

日本語原文は、

よくいるかホテルの夢をみる。夢の中で僕はそこに含まれている。つまり、ある種の継続的状況として僕はそこに含まれている。

・・・美しい日本語を英語に訳すのは難しいですね。「ある種の継続的状況」という大上段に振りかぶった連句が「in some kind of ongoing circumstance」となんだかゆるくなってしまっています。

結論はないのだけれども、この辺で。