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デマこいてんじゃねえ!:文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい
ブックマーク「けろやん。覚書」にもコメントしたんだけど、エントリに書いておいてみよう。なお文中の引用文は、元エントリの主旨を外れないよう気をつけて、改変加工した。なお太字化は引用者。
文章を書くという仕事は、ゼロを1にする作業だと思われがちだ。文章を書けるかどうかは、このことに気づけるかどうかだと思う。文章を書くというのは100を1にする作業だ。
これは、心底納得している(いた)。ただし留保あり。私自身は「ゼロから1」に入っていく。ゼロからネタ(書きたいこと)が生まれて「1」になって進んでいく。ブログだからかな?たぶんそうだろう。
ライトノベルは、青少年向けの「軽い小説」と見なされることが多い。しかし、そのライトノベルでさえ、メガヒットの裏側にはきちんとした情報収集があった。
ライトノベルは読んだことがないからわからない。でも軽い小説でも激しい情報収集があったということだな。「もしドラ」に情報収集があったか知らない。
また『希望の国のエクソダス』を書くにあたり、著者の村上龍は綿密な取材を行った。その様子は「取材ノート」としてまとめられて、出版されている。たった一本の小説を書くために、著者は目眩がするほど膨大なインプットを行っていた。
うん。これは良く分かる。これにはかなわないと思うけど。
- 作者: 船戸与一
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いわゆる「ビジネスパーソン」と呼ばれる人々は、知識を軽視しがちだ。問題を効率的に解決する方法や、アイディアの出し方……マニュアル化された「頭の使い方」をマスターすることに夢中
これって定型文なんだけど、ビジネスパーソンを馬鹿にするなよ!
とか書きながら、まったく馬鹿にする同感。パルプの無駄だ。なにしろ、ネットなんかで、有象無象のパーソン記事がこんこんしているんだから、パーソンたちはそっちを使えや!得意なんだろ?
でも、なんだかんだで紙文化は健在なんだろうね。シャッチョーさんの上梓した本の感想文を書かなくてはならぬビジネスパーソンたちもいるようだし・・・。
ところが、文章を書くとなれば話は別だ。誰かの人生を変えることができない文章に価値はない。人を引きつける文章、誰かの心に響く文章。
これは、とても美しい文章だけども、なんだか空疎に響くぞ。次の流れ。
三島由紀夫の愛読書は国語辞典だったというが、彼は非凡な天才だ。さて、凡人たる私たちは辞書を頭から読んでいって、内容を丸暗記できるだろうか?
三島由紀夫はそうだったかもしれない。しかし、愛読書が国語辞典で内容を丸暗記した人って他にもいると思う。でも彼ら彼女らは三島になれたか。愛読書国語辞典なりとも、足掻き地べたを這いつくばり、それでも足掻きが三島に通じなかった人もいるだろう。こういう気概は大好きだ。たとえ「ゼロを1」にできなくとも。
数十年後に百科事典一式に匹敵する情報を身につけるために、毎日少しずつ知識を蓄積していかなければいけないのだ。そうやって体に刻み込んだ知識は、一週間やそこらでキャッチアップできるような種類のものではなくなる。
知識の蓄積。すばらしいじゃないか!私も知識って大好きだ!でも、知識の蓄積って怖いことでもあると思うよ。知識に埋もれてしまって、私たちの実人生が無意味になる。あるいは破壊に至るという意味で。
凡たる三島由紀夫であったり、気概あるの人々、双方の人間にとって。
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元エントリを読ませてくれた人ありがとう。感謝します。でも、私は取捨選択して生活していきたいと思った。