けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 土俵の覚悟

http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/12/post_b0a9.html

BigBangさんらしい緻密なエントリ。私は、参加型ジャーナリズムについて、期待していないというよりも、その構造自体に嫌悪感を抱いている。そのことについては、来年に書く。

さて、私が、上記エントリで首肯したのは、次の一節。

また、「内部告発や危険水域からの発言」が無かった理由は明快であり、オーマイニュースが表面的にはそうした「スクープ」を口では志向、推奨しつつも、これらの投稿が市民記者からされるための、あるいはコメンターに対しての環境を整えたり、彼らを防衛したりする意志が全くと言っていいほど、なかったからであることの当然の帰結ともいえる。そして今後も、そうした記事やコメントは、ほとんど望めないであろう。

私は、情況として「内部告発や危険水域からの発言」は、来年以降、増加すると考えている。いや、オーマイニュースに限らず、ブログあるいは、SNSという様々な場所において。この辺りは、

http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/08/marketing20_b489.html

からの連想。

オーマイニュース。場として、「内部告発や危険水域からの発言」に対峙する覚悟があるのだろうか?http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20061217/1166325189で記したように、「量的拡大」を志向している。そして、それは広告収入に依存するビジネスとして当然のこと。また、「記者」もやる気満々である。

その一例として、http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20061217/1166325189にぶら下がっているTBは、オーマイニュースの記者を辞めることを書いた人物からのTBであるが、元エントリ(削除されている)には、私の書いたエントリについて触れられていない。にも関わらずTB発信されたものである。同時期、オーマイニュースについて書かれたエントリに対して、スパムチックにTBを発していたものである。で、何が言いたいかというと、彼は「オーマイニュース」に挫折感を抱きながらも、未練を抱いているのである。

全ての記者が、彼のような、いわば「オーマイニュース憧憬」を抱いているとは思わない。しかし、功名心を秘めた記者が、「内部告発」を行った時に、オーマイニュースは、腹を切る覚悟が出来ているのだろうか?

例えば、ウチのニャンコちゃんがニャーではないから、もっと金をクレクレ!と書いた人の顛末。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20061219/ugaya
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20061220/ugaya2

このような事態は、オーマイニュースというプラットフォームでは、十分に起こり得る下地が出来ていると思う。下地というのは、月刊誌「サイゾー」というメディアと同じパラダイムという意味である。ニャンコ氏が、ブログに同様のことを記載したら、このような事態になったとは思わない。

オーマイニュースに書くということは、書き手が土俵に上るということ。蒔かれる塩で固められた土俵だ。その土俵を提供しているということに、オーマイニュース関係者は自覚が足りないと、私は思う。

<<参考リンク>>
■土俵(wikipedia)

追記、11:12頃

http://d.hatena.ne.jp/psycho78/20061231/p2との情報あり。しかし、私が雨蛙ケロ助というペンネームで、土俵に上った時、土俵が土俵として機能するかについて、疑念が残る。