けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 唐突ながら「それにしても」ねぇ

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f0a92ba1bbd8a6510afb2d02b4f79f29

コメント欄で、意義ある議論が始まる。しかし、早々にエントリの書き手である池田センセが、

v6の意味 (池田信夫)
2007-06-10 13:22:31
それにしても、v6を批判すると、あっちこっちでネットイナゴが「素人が何をいうか」と騒ぐのは、5年前と同じで、うんざりしますね。これはIETFのミーティングでも話したし、村井純氏は「v4は永遠に延命できる」と認めました。それ以来、WIDEの人々は「v6への移行」ではなく「普及」というようになった。
(太字化は引用者)

唐突に、ネットイナゴがドウコウ語り始めて、痛い香具師&異体エントリになってしまう。この辺りの池田センセの心理分析。

未使用のアドレスを、オークションで再配分すればいいのだ。*1

エントリのキモであるこの言葉に対して、[これはすごい][流石だな池田っち][全米が泣いたほどにテラスゴスでゴンス]と賞賛されることを期待したのだと思う。理想と現実が、悲しくも一致しないことはよくあることですよ。

「それにしても」池田信夫先生といえば、池田−山形論争*2の池田先生。一方の山形先生は、「選挙権を売買しよう!」というようなことを↓で書いています。

新教養主義宣言 (河出文庫)

新教養主義宣言 (河出文庫)

「選挙権を売買しよう!」の味噌は・・・、読んでのお楽しみということで。

*1:デカ太字化は引用者。

*2:当該論争の経緯については、http://pathfinder.g.hatena.ne.jp/jiangmin-alt/20070220がとてもよくまとまっていて嬉しいエントリです。

 もはや妖怪ドバ。に関する考察

トの人 『独り者自炊派はもうね、大目に作ってご近所で共有化しないと、商材使い切るなんて神業続けるのは無理だと思うよ。
結果として何かを犠牲にしないオタクというのはどうなんだろう?とか、周囲が見えなくなるのめり込みっていうのがオタクの心性イメージかなぁ。ここでは食費切り詰めギネス挑戦オタクってのを脳内創生してですね(笑)

トリル*1は、宿命的に自身が駄馬であることを知ることのないダバなのだろう、と思う。いや、デキナイのではなく、ナイという所のダバであろうかと。

商材使い切るなんて神業続けるのは無理だと思うよ。

は?
私は神さまさんではないですが、「神業」続けていますが、なにか?「商材」とは、画材、木材、鉄骨材ではなく、食材を指し示していると想像されますが、私は使い切らなかったこと、ほとんどありませんね。このように、創意工夫をしない、というより、そもそも創意工夫を想像することのできない人間は、ダバだと言わざるを得ませんね。

周囲が見えなくなるのめり込み

は?
唐突に自己紹介をされても困ってしまいますねえ、奥さん。「「豪雨の前兆」というエントリを書いているブログの書き手⇒同名の書を物している作家である!!」と、泥濘の中で見えないままに悶えつつ、悦楽にのめりこんでいたのは、トリルとブタ一頭。トリル・ダンシン・ウィズ・臭いブタ事件。

で、上記引用トリル語の続き。

イグアナの名前は、そのままでは色々不都合ですので人化して「阿青」って呼んでますね。使い魔幼稚園さくら組ベジタリアン)。正式名は非公開ですが騎乗用イグアナとしては「クトクト」にでもしようかと思います。オスですね。パワーアップのため雑食へ教食特訓中。海草中心だと行動範囲が狭まり利用に制約が大きいですから。
送迎は庭師の「スズメの元・曹長殿」にお任せしています。』

ここまで超越存在と化すると、ダバではなく、妖怪ドバだと断言せざるを得ない。私は、悲しくて、涙が頬に一筋。だからこそ、こういう人間存在を許容することが出来るネット世界は、とても偉大で大きいものだと思う、これは嘘偽りなく思う。

−−−
ところで、なんでトリルが「イグアナ、イグアナ」と阿呆のようにほざくのか、ここ数日、不思議に思っていたのだが、http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070411/1176243465で、トリルイグアナを書いた私を発見した。うーん。記憶にないけど、元ネタはなんだったッケ?

付記

上記トリル前コメントは、

kerodon
『餃子の皮がなければ、皮を作ればいい。
目の前に川があり向こう岸に行きたければ、橋を作ればいい。

そのようなキビ団子も作れず、
キビ団子の隠された機微に思いを馳せない、
お団子コロコロ、串揚げの串が団子に見えてしまったぜ、
なトリルはこっちに恋や⇒http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070611/1181563303』))

なのですが、

目の前に川があり向こう岸に行きたければ、橋を作ればいい。

は、映画「戦略大作戦」(半年に一度は正座して観直す超傑作)の名台詞です。

戦略大作戦 [DVD]

戦略大作戦 [DVD]

*1:たくさんいる「トリル」の一人、くらいの意味。

 クローズド・サークルで舞い上がり、そして落ちることについて。

↓のエントリを書いてから、ブログ世界で、罵倒についての考察が流行っていることに気が付いた。

罵倒表現が許容されてる場ってそんなに多くないと思う

伝法な語り口調で書かれるmuffdivingさんのエントリを読んだのがキッカケ。次に、当該エントリで引用リンクされている、カノっちゃんのエントリ、

罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題

反論できない正論です。

(´・ω・`)

でも、違和感があるんだよなあ。ブログという公開の場で、裸踊りをする類稀なる「ブロガー」という変態人間は、そもそも罵倒される覚悟は懐に抱いているのではないかな?罵倒者が問題か、場が問題か、という二者択一を迫られたら、私は「場」というものに責任を押し付ける、あるいは責任回避する言論が問題だと思うな。

−−−
私も、今まで数々の罵倒を浴びせられながらも慎ましく生きてきました。現実世界、ネット世界の峻別なく。ネット世界のそれはキツイ。突然、狂ったようなブロガーに襲われたり、ほのめかし爺さんに弱みであるツボを突かれたり。これは、読者が想像するよりも、書き手は苦しいものですよ。
−−−

で流行の先端にいるのはhttp://d.hatena.ne.jp/Marco11/らしい。流れを把握するほど、私は一日中ネット中毒であるわけでもないので、よくわからないが、ここid:kerodonにコメントされたid:Marco11は、そんなに酷い人間ではなかったと記憶している。

今の私に想像できるのは、「id:finalvent病」に罹患してしまったのではなかろうか?ということくらいだ。奇矯なキャラを持つブログの書き手を持ち上げて、他者の言論を借りて叩き落すfinalvent。最近では、自らの手を汚して屠ることもある。

これは、現実世界でも同じと言えると思うが、その世界で影響力のある人間に持ち上げられた人間は、陳腐な書き方ではあるが、舞い上がってしまうことが、しばしばある。閉ざされた空間においては特にね。そして、舞い上がり、クルクルと舞い落ちるその落差は、厳しいものだ。屈辱を知らず、育った人間には、とりわけ。

その辺りの耐久力というのは、社会性のみで計れるものではなく、個々人の社会生活を含めた生活から、我知らず血となり、滲み出てくるものだと、私は思う。

追記(6月13日、20:00頃)

果てたブタのコメント欄において、本エントリを誤読されている方(beyondows氏)がいるようですので、追記します。

2007年06月13日 beyondows おまえが言うな, ダブルスタンダード, 俺はいいけど他人はダ finalventへの罵倒はいくらやってもいいが自分は傷つくらしい。

は?
私は、「finalventへの罵倒はいくらやってもいい」とも、「自分は傷つくらしい」と他の読者が、読み取るようなことを書いてはいませんが。対finalvent氏以外も含めて、「罵倒はいくらやってもいい」。はて?どこに書いてあるのでしょうかね?

そして、あなたが述べている「傷つくこと」は、私が述べている「苦しいこと」とは、まったく彼我に異なる感覚ですよ。分かり易い例をあげてみましょう。

ある四十路間近でありながら、親からの仕送りで生活している方がいるとします。彼は、仕送り到着直後に焼肉をブヒブヒと食いまくり、カツカツの生活を送っているとしましょう。そんな彼に対して、親からの次なる仕送り到着が遅れたとして、彼は「苦しむ」ことはあるかもしれません。ラーメン喰いてえ!とかね。

しかし、ラーメン喰いてえ!と身悶える彼。イクラなんでも「傷つく」ことはないでしょう。よほど心無き人間であるならば、「苦しみ」かつ「傷つく」かもしれませんが、私には縁遠き心の持ち主の感覚であり、理解不能です。

さて、beyondowsさんは、発する日本語も不自由であり、その上、日本語を読むことにおいても不自由な人のようにお見受けしますが、はい、本当にありがとうございました。

−−−
追記するという機会が訪れたついでに、私の主張を繰り返しておきましょう。

ブログという公開の場で、裸踊りをする類稀なる「ブロガー」という変態人間は、そもそも罵倒される覚悟は懐に抱いているのではないかな?

ここでは、「罵倒される覚悟」について述べていますが、それを下記文章中の「耐久力」に援用してみてください。

その辺りの耐久力というのは、社会性のみで計れるものではなく、個々人の社会生活を含めた生活から、我知らず血となり、滲み出てくるものだと、私は思う。

さて、そもそも罵倒、あるいはそれに類する発語とは、なにか?これについて、また機会がありましたら、私の考えを書きたいと思います。

 クローズド、クローズド

結構、身に染みる言葉が2ちゃんねるに落ちていた。

855 :朝まで名無しさん:2007/06/12(火) 20:27:16 id:mo0229td
大きな仕事ができる人は仲間とは群れ過ぎず、適度に距離をおく。
小さい仕事しかできないヤツほど仲間と群れる。
つまらない人間に身を任すとそのレベルで終わる。

しかし、これもクローズド・サークルを念頭においた箴言もどきなんだよなあ。「仕事」がない人間には、堪える言葉かもしれないけれど。


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トリルは仕事かなぁ?

      ∧_∧ 
      (´・ω・` )ショボーン 
     O^ソ⌒とヽ 
     (_(_ノ、_ソ 
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