読了日:2022年10月26日(水)
読書経緯:所蔵
書誌情報:2008年6月15日 第1刷発行
<ツイッターへの投稿>
現在は、戦後60年の躁の時代から鬱の時代への転換点であるという。
指摘されてみると、敗戦復興、高度経済成長、バブルと「狂躁」の時代が続いてきたように思える。
そして鬱の時代の生き方は、ダウンサイズして生きるということでした。
噛み締めます。
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<補足>
引用。
p.29 (五木)エネルギーと生命力がありながら、出口を塞がれていることで中で発酵するものが鬱なんですよ。
あと本文中に「戦後60年」と書いたんだけど、本書の刊行が2008年6月(リーマンショック前夜)でほぼ戦後60年。
そうすると1990年のバブル崩壊以降も躁の時代が続いたことになるが、筆者(五木)は小泉純一郎の登場を例に上げている。
社会経済的に見れば、IT革命バブルの勃興・推移も同じ頃か。
このように整理すると、たしかに戦後60年の躁の時代というのにぴったりと当てはまるなあ。