けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 長野に行った(2):消すに是非なくこと。そしてパズルの断片。

善光寺の続きです。

唐突ですが芥川龍之介羅生門を考えてみます。まず冒頭の一文を引用。

ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

文学的鑑賞は抜きにして、情景はなんとなくわかりますよね。門の下で雨宿りしていたといっても「やあ、大きな門なんだろうな」って思うと思います。問題はつぎの引用。

一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子はしごが眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。
(太字化は引用者)

門に上って眠る?上った先には死人ばかり?ということは相当な広さがある?この文章に接したときには、クエスッションな気持ちが湧いた記憶がある。それだからこそ天下に冠たる小説の鑑賞に支障をきたしていたのである。まあ、いまでも鑑賞しているとはいえないかも知れませんけれどもね。
さて、横道に入り込んでしまうと前のエントリみたいになってしまうぞ。ということで本題に入ろう。
冒頭に掲げた写真が善光寺の山門から写した写真。なんかどうでもいい写真でしょ?いや本当に山門からの光景ってどうでも良かった。昼寝でもしない限り5分くらいの滞在時間で、入場料500円也。
ところが貴重なものを見つけたのです。

Wikipedia:善光寺
(三門(山門)について)、江戸時代から昭和に至るまでの参拝者による落書きが多数残されている。落書きのうち、江戸時代のものは2階に昇った正面にある「江戸 と組よね」や3階(仏間)の北西側の壁面にある嘉永年号のものなどである。
(太字化は引用者)

これです!

たまたま上記Wikipediaを読んでいたのですぐにわかりました。これぞ流れ去る歴史に一石を投じた落書きですね。落書きを流さずして石の如くあり。
私は落書きが好きです。最近は見かけなくなったけど(なぜだろう?)車窓から流れ見れるスプレーの落書き。これって玄人はだしの素敵なものもあったよね?立体感が溢れていてさ。
さておき、もう一枚落書き写真を掲げてみましょう。

これ、ちょっと不思議なんですよ。横板を跨いで縦書きになんか書かれている。そして、横板に縦書きで「大正十三年」なんとかって書かれている。わけわからないので図示してみましょう

図示できなかったですね・・・*1。でも良く見るとこれは板を縦横に組み替えた痕跡に違いない!とほくそ笑んで前述Wikipediaを探検してみると次のような記述がありました。

寛延3年(1750年)に完成した。平成19年(2007年)に修復工事がなされ、大正から昭和にかけての修理で檜皮葺きになっていた屋根が、創建当初の栩葺きに改められた。

ちょっと分かりにくいんだけど、このあたりの工事で縦横に組み替えられたんでしょう。「大正十三年」と書かれた横板。かつては縦板として使われていたんですね。
歴史を感じたり、ミステリを読み解く楽しさがあったり、500円払った甲斐がありました。

*1:だれか写真の上にお絵かきする方法を教えてくださいな。