けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 大沢在昌「風化水脈」:漱石から脈々と流れる「ぴあ小説」。

読んだ。

狼花―新宿鮫〈9〉 (光文社文庫)

狼花―新宿鮫〈9〉 (光文社文庫)

再読。これで新宿鮫シリーズ刊行中10冊の連続再読が完了(短編集除く)*1。さて、どの作品も再読だったんだけど、どれもこれも記憶に残っていなくて白紙の状態で楽しめた。これ、自分の頭に結構問題がありそう(本当にそう思っている)。
さて、本作品。とにかく分厚い。プロットがそれだけ錯綜して、読者はよだれを垂らして引きずり回されるのか?というと意外とそうでもない。したがって、読むのに力がいる。
ここから話が遠くにトンで逝きます。
−−−
シリーズ中の「風化水脈」。これなんかは本作品(「狼花」のことね・・・)以上にプロットがないと思う。しかし、何回も読み返すのに力はいらない。なぜか?夏目漱石三四郎」と同系列のぴあ小説だからだ。
風化水脈 新宿鮫VIII (光文社文庫)

風化水脈 新宿鮫VIII (光文社文庫)

「ぴあ小説」とは何か?いわばガイドブックのように社会風俗、あるいは歴史を記述する小説である。「三四郎」を小川三四郎と美禰子*2の恋愛だか写実だかなんちゃらだ、と深刻に考える向きが多いと思う。しかし、小説「三四郎」はぴあ小説*3として読むことが可能だ。
同時代に地方にいた学生諸子(都市への人口流入、すなわち都市化は始まっていない)が「三四郎」をひもとく。文字の羅列の中に東京の姿を垣間見ることができたであろう。そして、現在の私たちも当時の東京あるいは本郷界隈の姿を想像することができる。

大沢在昌「風化水脈」も同様である。これは新宿の過去をつまびらかに描写する物語だ。もちろん新宿鮫シリーズは名にたがわず、人々が新宿を舞台に闊歩するシリーズである。しかし、そこで描かれるのは現在進行形の新宿である。
繰り返すが「風化水脈」では新宿の過去の姿が濃密に描かれる。歌舞伎町の前身たる闇市あるいは淀橋浄水場しかり。そして、その浄水場の周囲に花屋街が展開されていた歴史。
固く言うならば都市学に興味がある人間、あるいは在所としての新宿の歴史を観覧したい向きには垂涎の小説である。この「小説」を読むと新宿という鬱勃たる、じゃなくて坩堝たる街が見えてくる。もちろんほんのわずかであると思うが。
蛇足。さきに新宿鮫シリーズは現在進行形であると書いた。これは文字通り現在進行形であり、第一作「新宿鮫」(1990年発表)は発表当時の新宿が描かれている。今から23年前(!)の新宿だ。そういう流れを背景にした現在進行形となっている。
おっと、いま思い出したんだけど「風化水脈」の主人公は、第一作「新宿鮫」に特異なキャラクターで登場していたぞ。こんな人物再登場的手法*4は、シリーズものだから可能なんだな、楽しいんだなってあらためて思った。
(参考)
新宿副都心は「淀橋浄水場」が在った場所
(付記)
これを言っちゃあおしまいなんだけど、えらそうに用いていた「ぴあ小説」。残念なことに私の造語、造形ではなく、学生時代の先生が用いていたものなんだ。しかも「三四郎」を題材にね・・・。

*1:一部作品は読み終えずに放擲した。

*2:なぜか「小川」を覚えていた。もちろんミネコは変換できない、と思ったらなぜか変換できた。

*3:おそくなったけどライブとかの情報を提供する今はなき情報誌「ぴあ」のこと。

*4:バルザックみたいなね。