けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 横溝正史「金田一耕助のモノローグ」:「本陣」の裏話

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先月、横溝正史の初期作品を立て続けに読んだ。半世紀以上前の小説だけど、古臭さが感じられない。そんな、素晴らしい作品ばかりに出会い、ガホッ!と感想文を書きたくなった。

で、ガホッ!と感想文を書く*1前に、

http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20080106/1199599166

の続きを片してしまいましょう。横溝正史「本陣殺人事件」における「生涯の仇敵」について。

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まず「金田一耕助のモノローグ」。奥付を引用すると、

本書は、徳間書店刊「別冊問題小説」1976年夏季号より1977年冬季号まで掲載されたエッセイを文庫化したものです。

ということで、書かれた時代背景としては、角川映画が火をつけた「横溝ブーム」が一段落して、死が約5年後に迫る時期に書かれたエッセイ。

したがって、映画化に関するエッセイも所収されているが、終戦直後の横溝作品のファンである私にとっては、当時の裏話的エッセイが非常に興味深く読めた。まず、終戦当時のことが書かれている箇所を引用しましょう。

終戦の日のことについて、私は「途切れ途れの記」*2にこう書いている。(略)「電波の状態は最悪だった。なにがなにやらサッパリ聴きとれなかった。私のラジオを取りまいて車座になっている農民たちも、心配してときどき質問してくるのだが、聞かれる私自身なにがなにやらサッパリなのだから答えようがない。一座は次第に動揺しはじめたが、ちょうどその瞬間、私の耳を実に明確にとらえた一句があった。
「『これ以上戦争を継続せんか……』
「ただそれだけであとはまた雑音の中に消えてしまったが、その刹那、私は心中おもわずたからかに絶叫していた。
「『さあ、これからだ!』

そう、戦争が終わって、執筆が禁じられていたミステリ小説(探偵小説)を書けるという喜びのあまりの絶叫です。横溝、当時43歳。この辺りが、

来たりし平和の世に表現された平和の福音書なのかもしれない。

と、前述引用エントリで書いた所以です。

さて、「生涯の仇敵」についてですが、この先、「本陣殺人事件」のネタバレがあるので、ご注意ください。

まず、「生涯の仇敵」の誕生秘話が、本書に記述されています。引用してみましょう。

この日記を見て思い出したのだが、この「生涯の仇敵」なる人物は、私の最初の構想にはなかったのである。それがここで突然登場してきたのは次のようないきさつによる。「本陣」の第二回を読んで城昌幸*3がいたく賞揚してくれたばかりか、回数も六回とは限定しない。いくらでも好きなだけ書いて欲しいという、まことに好意ある申し出があり、これが私を安心させると同時に、私にいくらか自信めいたものを与えたのである。(略)いくらかでも小説にふくらみを持たせることが出来るのではないかと、この「生涯の仇敵」を持ち出したのである。

このようないきさつで、当初の予定にはなかった「生涯の仇敵」が誕生した。そして、「本陣殺人事件」も当初の倍以上の分量の小説になったという。

さて、「生涯の仇敵」とは何か?

それは、ミステリ好きの第三者が、小説内における事件の真犯人に対して、事件を複雑化するために提案した作為である。すなわち、真犯人の構想の「当初の予定にはなかった」作為であり、これが事件解明へのミスリードとして効果的に作用する。

そして、事件を小説として読む私たち読者に対しては、「なんなんだ?これは!」という嬉しい驚きを与えてくれるのである。更にいえば、もしこの「生涯の仇敵」が存在しない「本陣」だったとしたら、機械仕掛けの密室物という凡たるミステリ小説に堕して、後の「獄門島」等の名作は生まれなかったのではなかろうか?とも思ってしまう。

そういうわけで、

http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20080316/1205643382

でも書いたように、時代は「焦土と化した日本」*4。その時代に、基調な紙面を横溝に提供した城昌幸氏の功績は、「本陣殺人事件」を読む上で忘れてはいけないと思う。更に、「本陣」から連綿と受け継がれている日本本格ミステリを読む上で。

■参考
横溝正史の真備町を歩く(別巻)

*1:書くかわからないですが。

*2:原文ママ。

*3:「本陣」を連載していた雑誌「宝石」の経営者:引用者注

*4:高木「刺青」は「本陣」(1946年)の二年後の1948年に出版された。また、「刺青」は、「本陣」に誘発されて書かれたとも言われている。