巡回しているブログのコメント欄にカキコミをしようとしたら、長くなってしまったので、ここに置いておこう。
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こんにちは。寝冷えしました・・・。
さておき、情けなき人の世になりんス。
三方一両損というのがありますね。これは、三人がそれぞれ一両ずつを損する、、、ということだけではないのです。これについては、後で解説しましょう。
まず、今回、三人を、(1)オヤジ、(2)警官、(3)警官の上司(みたいなもん)と考えてみましょう。損をしたのは、(1)オヤジ、(2)警官の二人みたいですね。オヤジは笑っているかもしれないので、あくまで外形的ですが。
さて、(3)の警官の上司(みたいなもん)は、損をしなかったのでしょうか?私は、(3)も損をしたと思っています。世間の野次馬的批判は一過性のもので、大した苦しみはないと思いますが、見落としがちなところがあるのです。
今回、(2)に問題はあったにせよ、(1)のせいで、(2)を罰せざるを得なくなったこと。そして、(3)は個人であるけれども、機構、あるいは制度が、背中に乗っかっています。したがって、(3)を個人として考えるならば、(3)は(2)を罰することに対して、内心、忸怩たるものがあったのではないでしょうか?
こうして見ると、今回のケースは、三方一両損の一形態と考えることが出来ます。「ん?詭弁ではなかろうか?」と思うかもしれませんが、それはなんとなくいいのです。私が、書きたいのは、「三方一両損」においては、四方というもう一つの方があるということなのです。
四方とは、すなわち、「三方一両損」を外から見たり、考えたりする観衆です。オリジナル「三方一両損」を私が考えた時、「おとぎ話みたいだけど、良い話であるな!」と思います。ところが、今回の、「三方一両損」を考えた時、とてもではないですが、「良い話であるな!」とは思いません。これは、衆目一致する感想だと思います。
「三方一両損」とは、みんなが損をしたということで、観客が満足するのです。もちろん、その満足は、「ははは、てめえらみんな損しやがって、カワイソスでバカッポスw」というものではないですね。良い話だなあ、という満足。
そういうわけで、今回の「三方一両損」は、三方の損にあらず、観客を含めた四方の損なのです。*1観客は、一人ではないですからその損失は「一両」ではありません。まったく、嫌な話です。