けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 ツイッターを使い始めて1週間が経過したので、その感想。

ツイッターを始めて(再開して)1週間が経過したので、感想をメモしておこう。
私のツイッターアカウントはこちら。
https://twitter.com/keroyan0916
ちなみにゴミ箱となっている旧アカウントはこちら。
https://twitter.com/keroriyan
ゴミ箱はさておき新アカウントでの1週間。
いろいろ試しているんだけど、なにしろ流れるツイートの奔流に翻弄されて頭が爆発しそうだ。それらは一瞬きらめいたかと思うと、次の瞬間には流れ消えていく。追いつくのに必死、というか頭がおかしくなるので追いかけるのをほぼ諦めた。
あと旧アカウント使用時には「いいね」がなかったと思うんだけど、と思って調べてみたら出てきた。
Twitter「お気に入り」を「いいね」に変更した理由がかっこよすぎる
「いいね」。流れるツイートの奔流を自分の中でせき止めるために使っている。すなわち、気になったツイートを「いいね」しておいて、あとで時間のあるときに奔流を無視して、「いいね」の痕跡をたどるっていう使い方。
こうすることで、なんとかツイッター民として生き残っている感じだ。まだ1週間なんだけど、すでにして疲労
さらに、気がついたんだけど、ブログで稼いでいる人たちのツイートってものすごいなあと呆れると同時に感心した。まずその量が半端ない。一日中、なにかつぶやいているみたいな感じだ。
そして、その口調(正確には文体)が高飛車なんだよね。眺めていて疲れてしまうよ。ブログで稼ぐということは、精神的に辛く、そのはけ口としてツイッターが使われているんじゃないかなとすら思ってしまう。
まあ、そんな悪口めいたことは横において、ズッポリと浸からず嵌らずに、ツイッターを使いこなしていければいいなと思っている。

 日記とツイッターについて。

昨日は朝から外出。坂道をてくてくと登り、ちょっと前に発見したタリーズに入った。ザックに読む本や書き込むノート等をたくさん詰め込んで行ったんだけど、自分の日常をざっくり記した「3Year Diary」を読みふけった。

「3Year Diary」については書いた。
けろやん。メモー「3Year Diary」(博文館):3年間の疾走(あるいは失速)記録
これのあと二ヶ月で3年間が終了する、書き込みで重たくなったやつを読み返したんだ。どうも読みにくかったんだけど、生活がボロボロであることは判別できた。はあ。
ーーー
夕方、通院先のクリニックで診察。その待合時間にブログを発見した。こちら。
ほっしーのメンタルハック
私が罹患している病気(双極性障害)の分析やら、病状に対する解決アドバイスが満載で読みふけった。
それらの記事の中の一つがこちら。
うつ病ブロガーが語る! 日記の効果と長続きするコツ
引用してみよう。

日記を書くことで、あたまのなかで組み立てができるようになっているので、聞き返されても緊張せずに回答できます。

これ、冒頭にも書いたんだけど、自分の書いたものが読みにくくて、とても人から云々されて回答できるほどにはなっていないな。

あたまのなかだけでなく、書き出すことで別の角度から自分を見ることができます。

これには同感。

(ネットで公開すると)他人に読ませる文章とはなんぞや? という壁にぶち当たってさらに頭を使いますw

過去にも書いたことがあるんだけど、ブログを書くについては、自分だけが読む「チラシの裏」状態から、人に読んでもらうという要素が加わるので、ハードルが高くなって更新するのにしんどくなる。
それを考えると頭を使いますには、大いに同感。さらに自分の体調(精神状態)がよりはっきり出るようになり、読み返したときにとても参考になる。
そんなわけで、これからはブログの更新をしっかりとできるようにしたいな。
さておき、引用したブログを書いた人。つい最近、本を出したそう。

さっそくAmazonでポチったよ。
(追記)
本文中に引用した人が、うつ病や双極性障害の人に対してツイッターを奨励していたので、私もツイッターを再開することにした。前回使っていたアカウントはボロボロだったので新規に作成したので良かったら見てね。
https://twitter.com/keroyan0916
当面は、ブログを更新したときの状態をつぶやいていこうと思っています。

 野分の季節の眠気。

この一ヶ月間、眠気がひどくて困っている。
夜間にしっかりと睡眠をとっており、わりとすっきりと起床するのだけど、朝食を取ったらとたんに眠くなってしまい、重力に引っ張られるように、とたんと布団に横たわる有様。で覚醒しても頭が半開きで、なにをするにも億劫な状態が続く。
そんな中、夏目漱石「野分」を読んだ。

けろやん。メモー約一時間の書き初め。
漱石特有の文体は、むかしから好きなんだけど、その内容というかなんというかが身体的に受け付けない。

「野分」については、文体のみならず内容にのめり込み、久しぶりに読書をして興奮した。紙のノートに、気に入った箇所を筆圧も高く抜書きして、鼻息も荒くした。そんなことをエントリにしようと思ってはいるのだけれども、まったく気力と脳の力がない。
眠気。身体が休息を求めているのか、それとも困ったことに怠惰な惰性になってしまっているのだろうか。なんとかしなくてはいけないな。

 はてなダイアリー終了関連

メモリンク
はてなダイアリー終了の際、すべての投稿データをはてなブログに自動移行します
上記エントリに係るブックマーク。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20181004/1538636539

 台風24号メモ

巨木が根こそぎ倒れる国営昭和記念公園、井の頭公園 台風24号、都内のあちこちに爪痕 SNSに写真続々と
9月30日夜から10月1日未明にかけて関東地方を通過した、大型で強い台風24号。(略)24号の中心の気圧は970ヘクトパスカル、最大風速は35メートル、最大瞬間風速は50メートル。

私は眠りに就いていたので、まったく気が付かなかった。
ーーー
FBより転載。
倒木の写真を撮ったんだけど、台風災害に便乗するみたいなので、青空を見上げるカエルくんたちを見てもらおう。

 二重投稿。

書いた。
けろやん。メモー言葉という形にしてはいけないこと。
真面目に書いたので、異論・反論も含めてたくさんの反応を知りたくて、別の土俵にも投稿した。
https://anond.hatelabo.jp/20180926093022
(´・ω・`)<ちぇっ。ほとんど反応がなくガッカリだぜ・・・。

 言葉という形にしてはいけないこと。

LGBT騒動。
発端の杉田水脈氏の発言に対して「政治家が言ってはいけないことだが、生産性がないのは事実である」という言説を耳にした。おそらくネットでも同様の物言いが溢れていると思う。どうにも私には腑に落ちず、その言説を考えるとイライラしてくる。
まずは生産性の有無を主張するということ。主張するということは、当該事項にスポットをあてて、問題の是非を問うということである。そして、この言説の場合は、問題の是非を問うということをすっ飛ばして、いきなり結論に至っている。生産性がないのはよくないことである、と。
生産性。昨今、極右資本主義的な経営者が声高に唱える言葉である。そして、こういう人間たちが盲目的なシンパを抱え込んでいることは、ネットを見るとあきらかだ。意識高い系とか呼ばれる人々たち。もちろんすべてがそうであるとは言わないが。
私は、冒頭の発言が、これらの人間たちの意識に波乗りして、主張の正当性を強固にしているような気がしてならない。そこに媚び、というかずるさを感じる。
次。
こちらが本題なのだが、果たしてこういう発言をしてはならないのは、政治家に限ったことなのだろうか?言論の自由は保証されているんだから云々だから、法的に問題がない。それにしても、発するものではないこともあると思う。
では何が、発することを押し止めるのか。それは、人々それぞれが持つ思いやりみたいなものだ。思いやりという言葉がきれいすぎるならば、倫理感、あるいは理性である。
したがって「政治家が言ってはいけないことだが」と発する人々をみると、劣する人間に対峙しているという嫌悪感を抱いてしまう。言ってはいけないのは、政治家とかだけじゃなくて、普通の人々でも同様だと思う。
さらに、政治家だからいけないという前置きで、自分は許されているという逃げ道を確保している態度が気に入らない。自らの愚を自覚せず、考えることすらしないで、高みから物を言っているということにすら気がついていない破廉恥。
心の乱れた人が多くなったものだ。