読了日:2021年6月28日(月)
読書経緯:所蔵
書誌情報:2015年3月 新潮社より刊行
<感想>
デビュー当時女子大生だった私が、子どものいる主婦になって登場。
前作「朝霧」から、実に17年ぶりのシリーズ最新作品。
掲げたAmazonの書影に映る装丁。シリーズを通じて「私」が大人になっていく姿が反映されている。
「私」は子どもの野球の練習を見に行ったりする主婦業の傍ら、本を読んで思索を巡らせる。
それにしても驚いた。
太宰治の「二十世紀旗手」のエピグラフ『生れて、すみません』がなんと太宰のオリジナルではなかったというのだ。
いわく、友人の弟の詩人が創作した言葉とのこと。
太宰のキャッチコピーとも言える『生れて、すみません』が、繰り返しになるがオリジナルではなかったんだよ!
太宰のレーゾンデートルに関わるんじゃないかと衝撃を受けた。
・・・
太宰ではなく、芥川龍之介について引用してみよう。
p.060 告白的作品を重視して、晩年の作品にばかり高い評価を与へるのは、評伝作者の恣意にすぎない。どれがもつとも巧みに作られた物語かを選ぶべきだ。私はそこで、「秋山図」や「舞踏会」や「手巾」を選ぶ。「手巾」は短編小説の極意である。
これは三島由紀夫の芥川評。
告白的作品よりも、緻密に作り上げた物語性の重視という点で私も同感です。