けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 蝉の抜け殻なるものの贅沢さ

さて問題です。私のブログを一番たくさん読んでいるのは誰でしょう?コレコレさん?ダレコレさん?コレコレナさん?
いやいや答えは、私です。表題に「メモ」とあるように、自分自身が後から参考にしよう、というエントリもあります。しかし、その他のエントリ(考えてみるとあんまりないななゲシュタルト)についてはときどき読み返してクスクス笑っている。ね、気持ち悪いでしょ?
たまに、他者からの言及もある。いやコメントあるいはメールでの言及ではない。2ちゃんねるや他ブログでのプロファイリングなどすこし大きな言及。「***ブロガーの時代」とか。
その中で一番嬉しかったのは「黒崎夜話」での言及、そして評価。彼については、ここまで追い込みかけて斬り込んでしまうかなあ?というエントリもけっこうあった。でも全体においては大好きだったなあ。

黒崎夜話:水たち2
嫌になるのは恐らく、自分の中にある殻だろう。(略)いずれ化けることを期待します。もうじきくるんじゃないかな

私は結局、殻を破れず、化けることもできなかった。このエントリ5年前なんだぜ。それはともかく私は上記エントリ内の「分かるよね」「じゃないかな」が心に留まった。こういう物言いって他になかった気がするナルシスト。
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さて殻について。
果たして私たちは、地の中でじっくりと息を潜めて生なるを待つ蝉なのか?それとも地の上で生き長らえ、声を枯らさんばかりに泣きつづけている蝉なのか?
蝉は儚いという。
しかし地の中で「息を潜めていても」生まれ出づる可能性があるじゃん。地の上で「声を枯らさんばかり」に鳴くことだって、たとえ短くとも生きとし生けるものすべての耳目に訴えるじゃん。儚いなんて贅沢だよ。
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蝉時雨。