けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 知的営為の崩壊

久しぶりに新聞記事から。

5月11日の産経新聞に、新保祐司という文芸批評家が書いた「震災で崩れた今日的バベルの塔」と題した一文が掲載されていた。

3.11後、大学の研究室に戻ったところ、本が散乱していて、部屋の奥の机まで辿り着けなかった。そこで、空いた書棚に脈略もなく放り込んでいくうちに、彼は思う。

そんな作業を10分ほどやり続けた頃だろうか、ふと、全集本などを除いてこれらの本が実につまらないものであるように思われた。(略)新刊本の類を私も人並みに買い揃えていたが、そういう最近の知的営為から生産された本というものが、今回の大震災という過酷な現実に打ち砕かれたように感じられたからである。

たとえば新書本。一ヶ月程度、平積みされ人々は手に取るなり、立ち読みする。そして、一ヶ月後には、新しい新書が平積みされ、ところてん方式に、平積みされていた本は書棚に格納。そして、しばらくすると書棚からも姿を消して、大手書店か、Amazonくらいしか取り扱われなくなる。そんな知的営為。

上記記事では、古典に話が及ぶ。池田健太郎というロシア文学者が、小林秀雄の家を訪ねたときの話。

(池田が小林家を訪ねたときのこと)その時、小林は何と岩波文庫の翻訳で「罪と罰」を読んでいるところだったという。(略)池田はこう思ったのである。小林は長くドストエフスキーを読み、批評してきたし「罪と罰」の内容など知り抜いている。その小林が、何度も読んだに違いない「罪と罰」の翻訳を改めて読めるということは、まだそのものの中に新しいものを発見できるからである、と。

・・・久し振りにバルザックなんかを読み返したくなった。