けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 竹森俊平「1997年−世界を変えた金融危機」:リスク概念の転換を試みて

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

あるブログのコメント欄に書き殴ったきりになっていたので、本書を引っ張り出して再読してみました。十分に再読可能な新書であり、味読の方にはお勧めします。

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まず、本書の表題である1997年。同年は私個人にとっても大きな区切りとなった年であるが、それ以上に社会・経済情勢の変動は大きく、歴史に記憶されるだろう。三洋証券、山一證券北海道拓殖銀行など、四大証券あるいは都市銀行を含む金融機関が破綻した。*1

さて、本書はその1997年の金融危機を分析すると同時に、その禍が現在の世界経済にも及んでいることを示唆している。また、フランク・ナイトの不確実性を分かりやすく紹介している点で、非常に読み応えのある新書である。

このエントリでは、後者、すなわちフランク・ナイトの不確実性をピックアップして紹介したい。

端的に示した部分を引用してみよう。

経済における不確実性には、「その確率分布を推測できる不確実性(これをナイトは「リスク」と呼ぶ」と、「その確率分布を推測することが不可能な不確実性(これをナイトは「真の不確実性」と呼ぶ)」という二種類がある。ナイトはその区別を自分の議論の出発点とした。

まず、ナイトは不確実性を二つに区分する。「リスク」と「真の不確実性」である。前者は、簡単な例をあげると、サイコロである目が出る可能性であり、その確率は6分の1となり、確率分布を推測できる。また、損害保険に利用される将来の事故発生率についても、過去の事例を集積、分析することによって、確率分布を推測することが可能である。これが、ナイトが定義するところの「リスク」であり、一般の観念から考えると狭義の「リスク」である。

次に、「真の不確実性」について。これは、過去の事例を統計的に分析することが困難な未知の事象を意味する。例えば、比較することができない新しい技術を根底とするビジネスであり、そのようなビジネスの将来の収益性については、予見することがほぼ不可能である。この「真の不確実性」については、リスクとして通常は認識されるが、ナイトは前述の「リスク」と明確に区別している。

この「真の不確実性」は、本書では次のように記される。

ITを専門にするニュー・ビジネスの株価などは、将来の収益性などを過去のデータから推し量りえないので、株式の実勢価格についても予想範囲が広くなる。

ポイントは、「将来の収益性が過去のデータから推し量りえない」というところである。また、株価は過去、現在のファンダメンタルズだけではなく、将来の(予想される)ファンダメンタルズを織り込んで決定される。こうして決定された実勢価格が、時として異常なまでに高騰した後、大暴落することもあるが、これはバブルの生成から崩壊へのプロセスである。「真の不確実性」によって、「実勢価格」が分からないままに、バブルが生成、崩壊するのである。

さて、ここからがナイトの理論の興味深いところである。引用してみよう。

しかし、「企業家」という特別なタイプの人種のもっとも本質的な行動は何かといえば、「新しいこと」への挑戦である。「新しいこと」、過去に類例がないことに企業家は挑戦する。「不確実性」と真正面から対決するのである。そして「不確実性」と対決する報酬として、企業家は「利潤」を手に入れる。

ここで定義される「企業家」は、「リスク」を取るのみでなく、「不確実性」という未知の領域に踏み込む人々である。懐かしき渋谷ビットバレーの人々を考えると分かりやすいだろうか。彼らの大半は、事業に失敗、あるいは事業縮小を迫られたが、中には「不確実性」を乗り越えて、IPO(株式公開)に辿り着き、莫大な利益を獲得した「企業家」もいる。

では、「不確実性」を求道する人々、及びそれに出資する人々が、「不確実性」という壁を乗り越え成功に辿り着ける確率はどの程度だろうか?これについて、ナイトは手厳しい評価を下す。

これはあくまで自分の直感だが、企業家は失敗する傾向がある。それゆえ平均的には利潤はマイナスで、企業家は社会的な純価値を創造するよりも破壊する傾向がある。

なぜ、ナイトは「企業家は失敗する傾向がある」と直感するのだろうか?その答えを引用してみよう。

一体、どんな人間が客観的な確率の分からない「不確実性」に挑戦するかを考えてみたまえ。大抵の場合、ギャンブル好きか自惚れた人間だ。そういう人間が、「企業買収」といった場合のように資産を競い合って買う機会を与えられたら、無闇に価格を吊り上げるだろう。そのために割に合わない、買収価格を支払う羽目になって、後で損をするのである。
(太字化は引用者)

ああ!!「不確実性」を求道する人をボコボコにタコタタキにしちゃってます。私も、所謂「ニュービジネス」というものには、眉につばつけてみますけれども、これじゃあ、あんまりじゃありませんかね?

翻って、西暦2000頃の日本における「IT革命」*2は、先に述べたようにビットバレーの栄枯盛衰を見るまでもなく、真に「真の不確実性」を求道した人物、企業は少ないのじゃないかな。良かれ悪しかれ

■参考リンク
リスク、不確実性およびセキュリティ(pdf)
フランク・ナイト(Wikipedia)

*1:いずれの金融機関も永代通り沿いに本店があり、「永き代」の通りではなく、倒産通りだろ、というジョークが兜町スズメは囁いていた。

*2:(笑)