けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 日の丸の遠くなりにけり、暑くていいね!

立秋を境に、とても涼しくなってきましたね。

・・・と思っていたら、とんでもなく暑苦しい男が出てきました!

妻と息子のために、男として仕事をずっとしたいと思ってて、やっと男になれた気がします。(TV放送より抜粋引用)

あちゃーーー!!!

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北京オリンピックが、きな臭くモヤモヤした中で始まり、日本選手の活躍もモヤモヤしていたところに、日本選手初の金メダルが生まれました。男子柔道内柴選手。たしかに、日本初の金メダル獲得ですが・・・。

インターネットの記事から引用してみましょう。

内柴、日本金1号 柔道男子66キロ級

息子よ、これが金メダルだ−。(略)「あかりー!」。拳を突き上げ、何度も妻の名を呼ぶ。一緒に座っている息子には笑顔を送る。「オレはオヤジ。オヤジの仕事をやった」。内柴は自分の姿を愛する家族に見せつけた。

彼は、優勝決定後、ゆっくりと観客席を見上げて歩きながら、たしかに奥さんの名前(「あかりー!」)を連呼していました。これが、日本初の金メダリストの姿です。

「日本男児として恥ずかしいな、おぃおぃ・・・」、とか思うなかれ!

やっと男になれた気がします。

「なんだか、暑苦しいなあ・・・」、と笑うなかれ!!

「日本初の金メダル獲得」という言葉が、北京の地に、虚ろげに響いてしまう、そんな内柴選手の勝利の姿だったと思います。彼にとって、「日の丸を背負って」という慣用句はどこか遠い国の、どこ吹く風みたいに私は思えました。

彼にとって、オリンピックは自分と家族のために戦う舞台だったのだと思いますね。

「この4年間、何度もつらくてやめようと思ったけれど、(2人を)連れてきたいという思いで…」。北京で表彰台のてっぺんに立ち、息子へ、妻へ胸を張った。その姿はまぎれもない、世界一のパパだった。 

えーと、オリンピックです。そこに暗黙の圧力として存在する「日の丸担いでガンバルぞ!」精神からは、ほど遠い世界だったと思います。だが、それがいい

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さて、私はこの光景を見て、シドニー・オリンピック、高橋"Qちゃん"尚子選手の女子マラソン優勝時のインタビューを思い出しました。「一度は辞めようと思った陸上ではありますが、本当にここに帰ってきてよかったなぁと、心から思えるほど、楽しい42kmでした!」。

これ、ただのオリンピック女子マラソン優勝のインタビューではありません。オリンピック日本女子陸上種目で初の金メダルを獲得してのインタビューです。そこで、「楽しい42kmでした!」って、満面の笑顔で言い放つQちゃん。

思えば、ここから、誰も心中で思いながら、言い出すことができなかった「日の丸消えた」が始まったと思います。選手、あるいは観衆が日の丸の呪縛から逃れたというか。

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オリンピックは、武器を持たずに国が威信を賭けた戦いである。という言葉に反対はしないけれども、国の威信とかなんとかなんかのためよりも、家族のために、自分のために、戦う。そういう戦いの姿が、私は好きだな。

(注)
内柴選手が叫ぶ姿。youtubeから見事に削除されてしまっていました。私はニュース番組を録画しましたが、観ていない人は、オリンピック総集編とかで、観て欲しいものです。