けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 クソッタレコメントの定義を明確にしろよ!

さて、極東ブログという日本国民の思考(思想じゃないよ)に、多大なる影響を与えるアルファブログにおいて、finalvent議会で承認されたfinalventコメント法が施行された。

法案審議及び施行は、finalvent自らが行ったものである。しかし、その法的効力は極東ブログ内という限定的なものであり、ブログスフィア全域には、「推奨」という形で提示され、効力の強制はない、らしい。

その中で、次のようなコメントが投じられ、上記finalventコメント法の認可を受けて、表示された。

基本的に賛成。
アクセスが少々増えたらビビって休止する某ブロガーのようなのも「有り」だけども、その同じ某ブロガーが弁当氏を否定するのはナンセンスに感じ続けてる。

エントリーに対する懸念が1点。
コメント承認制でブログ主の管理責任が一層増し、一切の責任を禁忌しようとすれば廃止という流れは結構早いのではないのでしょうか?

投稿 ト | 2008.06.03 18:14

このコメントについて考えてみよう。いや、考えたのは、朝の私であり、前提が大崩落してるわけだけどね。すなわち、このコメントに対する私のコメントが、finalventコメント法によって、表示されないことを予想して書いた文章。実際は表示されたので、前提が破綻した文章である。

しかしながら、ここに記しておく。なぜならば、私の意思表示として、少しは役に立つだろうと思うし、あるいは統制を意図するブロガーが心しておいて欲しいことだからである。

以下、finalvent法によって表示されないことを考えて、書いた文章。

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アクセスが少々増えたらビビって休止する某ブロガー
投稿 ト | 2008.06.03 18:14
ネットストーカーの「ト」氏にこう書かれると、死にたくなるのですが(´・ω・`)

とコメントしたら、昨日、finalvent議会で承認されたfinalventコメント法で、表示を却下された模様。さて、これをきっかけにして考えてみたい。

他のブロガーだったら威嚇を感じるようなコメント、単純には、「死ね」といったようなクソッタレコメントを放置しないでくださいということもあるのです。特に、大きなPVを持つブロガーはそのクソッタレコメントを結果的にまき散らすことも許容しているのです。それをやめましょう。

えーと、「単純には」ということが書かれているので、NGワードは「死ね」ということだけではないようです。では、NGワードの基準はどうなんですかね?

数千以上のPVを持ち、それなりに著名なブロガーは、他のまだ小さいブロガーなら威嚇を感じるようなクソッタレコメントにも許容を持ちます。

私は小さいブログの書き手であり、数千以上のPVの著名ブロガーではありません。したがって、「威嚇を感じるようなクソッタレコメント」なんですよね。投稿 ト | 2008.06.03 18:14コメントって。

そもそも、当然自明のことですが、クソッタレコメントって、コメントを読む人によってハードルが違うでしょ?とても繊細な神経の持ち主の感受性と、妄想をまき散らして平気な顔をしている厚顔無恥な人の感受性は違いますよね?その辺りは、finalvent氏ももちろん理解しているとは思います。

しかし、だからこそ、その「運用」をしっかりやってくださいよ。いや、「しっかり」と表現すると、甘い。「厳格」に運用して欲しい。「みなさんもそうしたほうがいいですよ。」って、他人に推奨する推奨者として立候補するならば、そのパイロットケースを厳格に示してください、ということ。

さらに、投稿 ト | 2008.06.03 18:14は、「某ブロガー」という曖昧な書き方をしてます。従って、これは、「アクセスが少々増えたらビビって休止する」ブロガー全体に当て嵌まるコメントになりますね。私自身もこのコメントに、揶揄されて威嚇されている気がします。しかし、それ以上にその他の「アクセスが増えたらビビル」ブロガーも「もしかして僕のことかもしれない、揶揄されたから・・・」ってことになりませんかね?惨劇だということ、お分かりですか。finalventさん?

話を戻せば、このような「クソッタレコメント」を放置して、私のコメントを表示しない。これって、更にどうなんですかね?この状況は、「クソッタレ」に対する対抗言論を封じられたってことなんですが。「クソッタレ」されて、反論することも許されない。私は、このようなコメント欄のあり方自体に、威嚇されている気がします。
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ということを朝、考えて下書きにしたためた。

さて、finalvent法下において、不特定、及び半不特定者に対する、投稿 ト | 2008.06.03 18:14のような言論を表示することは、可と判断しているわけです。しかし、私は、ト | 2008.06.03 18:14が言うところの「某ブロガー」だと思い、とても嫌な思いをしました。もしも、ソレに対する対抗言論コメントが、表示されないならば、私は精神的に追い詰められている状況でした(そのような最悪の事態は避けられましたが)。

しかし、もしかすると、ト | 2008.06.03 18:14というコメントで精神的に死に至ったかも知れません。もちろん、それは、私の被害妄想の結果と受け止められても仕方がないかもしれません。

しかしながら、そのような可能性があるコメントをコメント承認制という「強権」(孫権じゃない)のもとに、承認するというのは、如何なものでしょうか?id:finalventさん。私としては、到底、納得行くことではありません。

さて、可あるいは不可を決定する。これは神様の所業です。前述したように、読者の感受性は多種多様です。ト | 2008.06.03 18:14が書いたコメントを、「ああ、これは私のことだな。悲しいよ。」と思う人がいるかもしれません。そして・・・悲劇。そういうブロガーは、私のほかにもいるかもしれません。いや、いるでしょう。アクセス過多に悩むブロガーは、私以外にもいます。

ところで、あまりに簡単に疑問に思うのですが、finalventさんは、コメントの表示・非表示の明確な線引きを明確に、かつ具体的に考えておられるのでしょうか。もし、考えていない(ということは無いと思いますが)、あるいは曖昧な部分を残している、ということであれば、非常に無責任なブログ管理だと評価せざるを得ません。