けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 泥にまみれて粘土になること。

■池田信夫 blog:10年は泥のように働け

匿名イナゴを呼ぶ蟲笛を有する信夫先生だけど、いいことも書くのだね。

■「10年は泥のように働け」「無理です」

入社して最初の10年は泥のように働いてもらい、次の10年は徹底的に勉強してもらう

という元ネタに対して、

若いときは「雑巾がけ」で会社にご奉公し、年をとってから楽なマネジメントで取り返すという徒弟修業型のキャリアパスは、組織が永遠に不変で、自分がそこに定年まで終身雇用で勤務するという前提でのみ成り立つインセンティブ・システムである。

とばっさり斬る。元ネタが元ネタであるから、どのような切り口でも、ばっさり斬れて、喝采を浴びることが可能だと思う。しかし、信夫理論の味噌は、終身雇用が崩壊した労働システムを基にして「泥10年」を語っていることだと思う。

「10年間、泥のように働きました。粘土のような人間になってしまいました」、「はい、ご苦労さん」。これじゃあ、人間として堪りませんね。企業としては、ところてん式に供給される、次の若い人に「よし、10年間、泥のように働いてみろ。話はそれからだ!」、という無限ループで夢の発展を考えているのかな。

まあ信夫理論にまったくもって同意するわけではなく、例えば、

徒弟修業型のキャリアパス

これは、どうかね?徒弟修業は、たしかに「泥10年」の働き方ではあるけど、終身雇用とは相反する働き方だと思う。「泥10年」が終わったら独立して、働きながら自らマネージメントするという働き方でさ。だから、放り出される、一人立ちするときには、「泥10年」の間に、

次の10年は徹底的に勉強してもらう

ということも実行していなければならない。そんなわけで、信夫理論における「徒弟修業」は、適当な例示ではないように思うな。

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なんにせよ、若者さんたちには、10年間泥のように働いて粘土細工にならないことをお祈りします。まあ、経済界の重鎮が期待するほど、泥人形たる若者はいないと思うけどね。