ちょっとどうかな?って思う。
国際標準に則ったら(それが科学的ということ)、食べたくない人がいるならそういうチョイスを日本の消費者に与えるというだけでよいと思う。
「国際標準に則ったら科学的ということ」なのかな?科学的じゃないことが、国際標準になっていることもあるんじゃないの?と思う。特にこのような政治的(内政的な意味でね)な事象については、まず"標準"ありきで、物差しという"科学"の目盛りで後から計るとか。いわば、ゴムのように伸び縮みする物差し。
そして、「チョイスを消費者に与えればよい」ということについて。例えば、「この肉は生後何ヶ月の部位は何々ですよ!」という表示をすべての肉に義務付けた上でのチョイスを想定しているのかな?小さな定食屋で出される肉料理も含めて。そこまで考えた上での「チョイスを与えればよい」ということなら、主張としては納得できるけれどね。
しかし、納得できるのは主張することについてのみ。なぜかというと、そういう表示を仮に義務付けて、実行されたとしても、「表示が偽装されていました!」ってことになるだろうから。