暇なのでfinalvent日記を読んでみた。
元エントリもフンジャラケッケなモノだけど・・・。
「こいつのようにだけはならない」という嫌悪感だった。「おれのものさしは、おまえのそれほどくだらなくないよ」。
自分の"ものさし"を"ものさし"だと言えるのは、今があるからだろうし、おまえの"ものさし"を「くだらないよ!」と言えるのは、やっぱり今があるからだろうし。後だし"ものさし"対決。
で、finalvent氏の談話に戻ると、
弾さんみたいに社会的な成功者、というか内心は違うだろうし、その内心の部分で私なんかと共通的な世界観や人間観はあるだろうと思う、そういうスタンスからは、それは、なんというか身内的な近さのある人への言動としては有効かもしれない。でも、公的な場への言動としてはほぼ無効なのではないか。
(太字化は引用者)
このように、一方で「俺様も世界観、人間観として同じなんだ」と共感を示しながら、「無効なのではないか」 と、無責任さを臆面も無く言い放つfinalvent氏が嫌い。すなわち、finalvent氏は、「"ものさし"問答」と、それに対する「公的な場の反応」(まあ、小さいとこだけど、元エントリのコメント欄とかね)に、俺は同じ感覚を持つ俺様だけど、そういうことは公的な場では言わないよ、というスタンスでモノを言っているというところ。
こういうエントリ。私は、弁当じゃなくて重箱弁当みたいで嫌だな。