けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 水面に映る我が身を見てみれば

ちょっと考えさせられた言葉。

はじめまして。
ガ島氏は、自分の人生の欠損や不満を、業界全体にシフトして批判してきた訳です。
その文脈で、自分の体験を狭いブログ論やコミュニティ論にすりかえようとしている。そこには理論はないんですよ。あるのは感情です。
引きこもり氏の労作は、いわゆる「青年期境界例」の諸特質を彼(引きこもり氏)が
知らずに炙り出したもので、ですから、ネットワーカーの心のツボに嵌まったのだと
思われます。ガ島氏の文章そのものではなく、彼の生き様(笑っていいですかね)に
共感する方が多かったように。(後略)
(太字化は引用者)

各種ブログ、SNSが発達・浸透しつつある現代社会。そこでは、自分ではない自分を演じることができる、というのは言い尽くされているかも。しかし、越えてはならない一線というものがあると思う。

すなわち、ネットで開いている自分というものは、現実の自分そのものではないということ。その自覚がなくなった時の恐怖。

書くことで、すずろに浮遊していた思いが、擬態的確信に昇華して、それが擬態であることを自覚しているうちは良い。しかし、その確信(みたいなもの)を「確信」と自らが認識してしまう時、彼我の世界に逝ってしまう。

人を一線の淵に留めるもの。それは、各人に不満*1を与える社会生活であったり、あるいは、上記引用文中にある「自分の人生の欠損や不満」を自らの柄として抱え込むことだと思う。

*1:もちろん楽しさもね。